統括部長オフィスはスペースに余裕を持った造りとなっているが、巨大なモノリス型デスクトップから応接スペースまでは然程離れていない。
 先着していた波留と老女がそれぞれ向かい合って窓際に座っており、蒼井兄妹がそれに続く。ミナモは杖を突くソウタを慎重に誘導し、波留の隣に座らせた。そして彼女自身は老女の隣に収まる。
 その頃にはホロンが給湯スペースから戻ってきていた。4人分のティーカップ一式が載せられたトレイを片手で掲げ、静かに歩いてくる。彼女の足音が近付くに従い、紅茶の香りが応接スペースに仄かに漂って来ていた。トレイの上に置かれた4つのティーカップからは湯気が白く上がっている。
 4人分ともなるといくらティーカップ1杯分のお茶と言えども、結構な重量になるはずである。しかしホロンはそれを感じさせない手つきで4名の人間達の前に立つ。軽く会釈を行い、トレイの上のカップをひとつひとつ下ろして人間達に差し出して行った。
 席に着いている人間達は各々それを受け取ってゆく。笑顔で頷く者も居れば、礼儀として会釈するだけの者も居る。只黙って傍に置かれるのを待つだけの者も居た。
 全てを下ろしたトレイを胸にし、ホロンは頭を下げる。そのままテーブルの脇に控えて立つが、ソウタが「自分の仕事に戻っていい」と指示を出していた。現在の彼女は統括部長代理専属の秘書であり、その彼の命令には基本的に従うようになっている。
 それでも一旦指示を仰ぐように、彼女は波留の方を見る。設定上はマスターのままとなっている人物が同席している以上、その指示も伺うようにAIが補正を行っていた。
 波留はその設定を理解している。だから彼も、ソウタに追随する指示をホロンに出していた。マスターと秘書として仕えるべき人間と、両者の指示が一致したためにホロンの行動は明確になる。
 彼女は人間に対して好感を持たれるような笑顔を浮かべ、一礼を行った。そのまま人間達の前から姿を消してゆく。一旦この部長オフィスから退室して行った。
 そして残された人間達は、ひとまず出された紅茶に口をつけていた。各人が好みに合わせて調整するためか、テーブルの上には角砂糖のポットとポット入りのレモンの輪切りも置かれている。しかし、それで味を調整したのは、未成年のミナモ程度だった。
「――アンドロイドだと言うのに、美味しいお茶を淹れるものなのね」
 窓の向こうに広がる海の蒼を顔に当てつつ、老女が口を開いていた。彼女の顔の前ではティーカップが揺らされている。そうやって揺れる、カップの半ばの深さとなっていた紅い水面を見やっていた。
「日本にはアンドロイドって居ないんですか?」
 隣に座るミナモが老女に対してそう尋ねてくる。彼女は国籍上は日本人と言う事になってはいるが、その故郷たる日本を訪れた事はない。母は彼女をオーストラリアの祖母宅で出産し、彼女はそのまま祖母宅で育てられていた。そしてそのまま、この4月に人工島入りした事になっている。だから日本と言う国の事は全くと言っていい程に知識がなかった。
「居るわよ。公的機関に配備されているみたいね。でも、一般人にはなかなか接する機会はないもの。あなた達だってそうでしょうに」
 淡々とした口調でミナモに対してそう答えつつ、老女は左手に持つソーサーにカップを下ろした。未だカップ内に残っている液体が揺れる中、テーブルに戻す。
 その答えを耳にして、ミナモは視線を上向かせた。少し考え込む。確かに指摘された通り、彼女はこの電理研に縁深い人間だからこそ、こんな風にホロンを始めとした公的アンドロイドと付き合っていると気付く。他の女子中学生はそうでもないだろう。
 少女が思惟を巡らせている頃、彼女の兄は俯いて黙っていた。彼の前にあるティーカップの蔓に指を絡ませてはいるが、それを持ち上げる事はしていない。只、紅い水面を眺めていた。
 そんな彼を、老女は一瞥する。膝の上に両手を揃え、顔を向けて斜め方向へと視線を通した。
「――お手紙下さったのはあなたね」
「…はい」
 その問いに対し、ソウタは言葉で肯定するのみだった。そして老女にとっても、自らのその台詞は問いではなく事実を確認したに過ぎなかった。
「読んで下さいましたか」
「読んだから私はここに居るのよ」
 老女にとっては当然の事を訊かれている形になっている。しかしそれでも彼女はこの部長代理に対して小馬鹿にするような態度は取らない。只、淡々と答えを返すだけだった。
 ソウタは俯いたままだった。言葉を交わす老女の方を見ていない。それはどう考えても無礼な行為である。
 傍から見ているミナモはそれを不思議に思った。基本的に礼儀に煩い兄は、普段ならばそんな行為はやらないはずなのだから。それだけに、この兄の心情は一体どんな事になっているのだろうと思ってしまう。
 その無礼な態度を取られている老女の方も、全く意に介していない。俯く黒髪から視線を外した。膝の上から右手を持ち上げ、そっと自らのティーカップの蔓に指を絡ませる。ソーサーには左手を掛けず、ティーカップのみを軽く傾けた。円状の縁の一端のみをソーサーに付けた状態でカップは傾く。
 その状態を維持し、彼女はカップをゆらゆらと揺らしていた。カップの半ばまで残っていた紅い水面が傾き、カップの縁ぎりぎりまで達してくる。その際どい位置を保ったまま、彼女は視線を落としてカップを揺らしていた。
 そして彼女は、カップの中で揺れる紅を見やったまま、何気ない口調でその言葉を口にした。
「――私に実の弟を殺せと、あなた方は言うのね」
 
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