ふたりが全く違う結論を出していたそこに、もうひとり乱入する。穏やかな女性の声が彼らの思惟に割り込んできた。
「――ミナモ様、マスター。御一緒でしたか」
 その声に、名指しされた両者はその方を向く。そこには電理研の秘書型アンドロイドとしての制服を纏ったタイプ・ホロンが立っていた。
 しかし彼女は容姿こそその他の一般的な公的アンドロイドと同等だが、髪型は長髪を後ろにひとつに纏めて結い上げているものだった。そして掛けている眼鏡のタイプも違っている。量産型ではあるが細かな差異を用いる事で、何らかの専用機であると対外的にも示していた。
「ホロンさん」
 ミナモは相好を崩した。――ソウタへの差し入れとかあるから、迎えに来たんだ。彼女はそう思っていた。それが現在、彼女とこのホロンと呼ばれるアンドロイドとの接点だった。
 ホロンは微笑を浮かべ、ミナモと波留に対して会釈を行う。しかし、それだけだった。彼女は一歩前に進み、老女を前にする。そしてその老女に対し、深々と頭を下げていた。
「――電理研にようこそお出で下さいました」
 それは先程、当の老女が波留に対して行ったような、最敬礼にも似た一礼だった。いくら公的アンドロイドとは言え、そう言ったものを繰り出す相手は限定されてくる。彼女らのAIにインストールされている接客プログラムの上では、接する人間達は細かくランク分けされるものだからだ。それに応じて態度を細かく使い分ける。それは人間の秘書と同様の行為だった。
 だと言うのに、最高レベルの敬意を表す行為がこの老女に対して行われる。そこにはこのアンドロイドに指示を出した人間の考えが透けて見えた。それを波留とミナモは感じ取る。
「…ええ。あんなお手紙頂いたなら、伺うしかありませんものね」
 対する老女の方も、特に動揺はしていないらしい。そのように扱われるのが当然と言わんばかりの態度で、そこに立っていた。その容貌からして相当に高齢であるだろうに相変わらず背筋はぴんと伸びていて、姿勢の良さは若い人間と充分に張り合える。
 そんな彼女の前で、ホロンは頭を下げたままだった。掛けられた眼鏡の奥では伏し目がちに床を見やっている。
 そしてホロンは、老女に続けた。
「統括部長代理がお待ち申し上げております。久島のぶ代様」
 その台詞がアンドロイドの口から放たれた時、ミナモは一体何を言っているのか判らなかった。それは複数の事柄に拠る。
 ――統括部長代理と言う事は、ソウタが待っているって事だ。ミナモには実感が沸かないが、現在の彼女の兄はそれだけの偉い立場に就いていた。そんな人間が、この老女を待っているのだ。それが1点である。
 更に、もう1点を認識した瞬間、彼女の思考は激しく揺さぶられた。  ――久島!?久島って、あの久島さんの!?
 ミナモが知る「久島」とは、その人物しか思い当たらない。日本人や日系で考えたならばそこまで珍しい苗字ではないのだろうが、15歳の彼女の狭い世界ではその人物が唯一絶対の「久島」だった。
 そしてその「久島」ならば、彼女にとって全てが繋がるのだ。――弟に会いにきたのよ。そして波留さんに対して弟が世話になった…――つまりはそう言う事なのだろうと。
 そこまで考えが至った時点で、ミナモは顔を上げる。ホロンに名前を呼称された老女を見上げた。目を丸くして、その皺だらけの顔を見やる。じっと見つめ、何かを見透かそうとしていた。
 少女のそんな無遠慮な視線に、老女は負ける事はない。全く意に介していないようにその場に立っている。
 ふと、視線をアンドロイドから外す。その脇に立っている黒髪の青年を見やった。そっと右手を上げ、胸元に当てる。優雅と表現していい動きで、彼女は軽く頭を下げた。
「波留真理さん。私、久島永一朗の血縁上の姉ですわ。弟がお世話になりました」
 波留にそう告げ、その老女は口角を上げて笑ってみせた。そしてその台詞は、ミナモの推測を見事に言い当てた事になる。
 ミナモは久島の姉を名乗るその老女を見つめている。確かにその血縁だと言われると、目許を始めとした顔立ちに何処となく弟の面影があるように思われた。全身義体で30代の容貌を保っていた弟と比較するのは困難ではあるが、確かに皺で緩んだ目尻などからでも類推する事は可能なレベルに似ているとミナモは感じていた。
 そして弟の恩人とも称せられた波留は、その老女を只見ていた。その表情は明らかに面食らっていた。
 静かに衝撃が走った彼ら4名の周辺では、相変わらずリラクゼーションルームとして賑やかな雑談が繰り広げられている。その合間を微かな水音が満たしていた。
 
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