電理研エントランスには様々な人々が歩いている。そこには白衣姿の職員だけではなく部外者の姿もちらほら存在していた。流石に巨大企業のエントランスだけあった。 そんな雑多な人間が集まっている場所であっても、中学生の少女と和装の老女の組み合わせは目立っていた。 ミナモは老女の前を先行していた。手提げ袋をふたつ膝の前に提げた状態で、歩いてゆく。時々後ろを振り返り、前を手で指して説明を行っていた。彼女は介助士を目指しているだけあり、老人を始めとした人々に対する気遣いが身体に染み付き始めている。それだけに自然な態度で老女に振る舞う事が出来ていた。 先を行くミナモの背中を見やりつつ、老女は辺りを見回している。やはり人工島入りしたのは初めてらしく、見慣れない景色に戸惑っているようだった。 そんな彼女らの前に人影が現れた。それは頭の両脇に髪を団子状に纏め、電理研所属の制服を纏った女性の姿だった。そして彼女らの周囲には同様の容貌と制服の女性が他にも見て取れていた。その事実から、人工島に不慣れな老女もその制服女性が人間ではない事は何処となく悟る事が出来ていた。 「――電理研へようこそ。御用件をお伺い致します」 ミナモのように天真爛漫な笑みではなく、人を和ませるための自然な笑みを顔に浮かべ、その女性は軽く会釈した。彼女は電理研所属の秘書型アンドロイドである。その容貌は人工島公的アンドロイドとして統一され「タイプ・ホロン」と呼ばれる部類のものだった。 そして彼女が発した言葉は、エントランス担当アンドロイドとしての定型文である。訪問者に対して礼儀を逸しない態度で情報開示を要求し、取得した情報によりその訪問者の行き先を割り振る。場合によってはその担当部署所属のタイプ・ホロンに引継ぎを行ったりもする。それが彼女らの業務だった。 だと言うのにミナモは、その天真爛漫な笑顔を絶やさない。人工物である相手に対しても元気に挨拶を行っていた。 「お姉さん、こんにちわ。父と兄に差し入れを持って来ました」 彼女は元気良くアンドロイドに頭を下げる。そのままの勢いで手提げ袋を探り、その中から携帯端末を取り出した。彼女にとっては使い慣れたそれを片手で操作し、起動する。 立ち上がった待機画面を表示させたまま、ミナモは端末を前に突き出した。眼前のアンドロイドはそれに対応し、手を差し伸べる。ミナモの携帯端末に手をかざすと、そこに光がぼんやりと現れた。微かな電子音が響き渡る。 義眼に光芒を走らせた後、そのアンドロイドの手が引いてゆく。情報を処理しているうちは表情を消して機械体のそれに変化させていたが、その処理が終わった時点で彼女は再び受付嬢としての笑顔を浮かべていた。 「――…蒼井ミナモ様ですね。担当の者に連絡致しましょうか?」 自らの認証に成功したらしい。ミナモはそれを知り、携帯端末を胸の前から下げた。またしても片手で操作し、電源を落としてゆく。 「いえ…今日はちょっとリラクゼーションルームで待っててもいいですか?」 その作業をやりつつミナモはそう言った要求をアンドロイドに持ちかけていた。それに秘書型アンドロイドは軽く首を傾げるが、すぐに応対する。 「私共は構いませんが、両者の安息義務までに少々お時間頂く事になりますが…」 「いいです。このお婆さんを案内したいですし」 ミナモは笑顔でそう応えていた。携帯端末を手提げ袋に戻し、その手を胸の前でぶんぶんと振る。固辞の意思表示をしてみせた。 そんな彼女の応えに、アンドロイドは視線を巡らせる。少女の背後に立っている老女の姿をその義眼に認めていた。その老女は真っ直ぐとした姿勢で少女達のやり取りを伺っていた。両手はきちんと前に揃え、ハンドバックをその手に提げている。 「――そちらの方の御用件をお伺いしても宜しいですか?」 ミナモから視線を外したアンドロイドは、老女に対してそのような申し出を行った。それもまた彼女の定型文であり、日常的な業務だった。 確かに承認通過した人物の連れとは言え、その情報を取得しない訳にはいかなかった。電理研の難攻不落のセキュリティはそんな地道な作業によって成り立っている部分も大きい。それは人工島住民ならば、誰しも納得している事である。 しかしこの老女は、電理研に足を踏み入れたのが初めてならば、人工島自体を訪れたのも初めてだった。少なくともミナモには、今までの態度からしてそう思えていた。そして今もこの老女は、自らのハンドバックを漁っている。 どうやらミナモに倣い携帯端末を探っているのだろう。とすると彼女もまた未電脳化者なのだろうと、ミナモは推測をつけた。人工島以外の地域の人間ならば、未電脳化者も珍しい存在ではない。メタルにそこまで社会システムを依存していない地域をまだ多いからだ。実際にミナモが住んでいたオーストラリアもそのパターンに一致していた。 とすれば、電脳化どころか携帯端末自体を滅多に使用しない生活を送っていたかもしれない。ミナモは自らに当て嵌めて、老女の事情を考えていた。 電理研の秘書型アンドロイドは受付嬢としての笑顔を絶やす事無く、待機姿勢を取ってその場に立ったままだった。老女からのアクセスを待っている状況である。 待機しているアンドロイドと、その前で携帯端末を探すのに手間取っている老女。ミナモはそんなふたりの様子を代わる代わる見ていた。何だか彼女の方に焦りの気持ちが浮かんでくる。 だから、ミナモは胸に手を当てた。右手をぎゅっとその前で握り締め、声を上げる。 「――えーと…この人は、私のお友達です!」 少女の声は高く、この雑然としたエントランスにも通ってゆく。そしてその台詞の内容が内容だった。思わず、その場に居合わせた人々が一斉に彼女の方を向く。 「………お友達?」 注目を集めた格好になる老女は、ミナモのその宣言に唖然とした。過去の美しさを感じさせるその顔立ちが素に戻る。 「私、あなたとそんなに交流深めたかしら?」 取り繕う事もしない、素の印象で老女はミナモに問い掛けていた。それにミナモは困ったような顔をする。眉を寄せ、軽く首を傾げた。 「えっと、一緒にここまで来ただけじゃ、駄目ですか?」 「駄目って言うか…」 老女はそのミナモの態度に苦笑気味に笑っていた。――どうも、思っていた以上に子供っぽい所があるらしい。今まで着実に丁寧に案内をしてきた少女に対し、老女はそんな事を思っていた。 「ともかく、彼女の前ではそれは通用しないでしょうね」 その台詞を発した頃には、老女はようやく取り出した携帯端末を手にしていた。ミナモと同型のそれを少女に見せる。そしてそれを立ち上げ、待機画面を表示させていった。アンドロイドは何事もなかったかのようにそれに手を差し伸べる。 ミナモはその様子に、照れた風に笑った。その頃にはエントランス中の興味はその3人から潰えており、再び喧騒が戻っている。 |