意識が暗転し、すぐにその視界が開ける。波留は途切れた意識の向こうに、展開されてゆく託体ベッドのカバーを見やっていた。耳元には機械的なオペレーターの案内が聴こえてくる。彼女が言うには、どうやら無事ログアウト出来ている様子だった。
 電理研ダイブルーム用の専用託体ベッドの上に横たわったまま、波留は自らのダイブログをざっと閲覧する。そのログの上では、彼はジャンクのサルベージ作業の終盤にて多少手間取った格好になっている。ともすればメディカルチェック送りになるだろうかと危惧していたが、その勧めは現状アンドロイドからなされなかった。
 彼の視界を覆うカバーが完全に展開されると、眼前には直立するモノリス状のサーバが存在していた。そこには様々なデータが表示されている。いつものダイブルームの光景だった。
 次いで横たわるベッドが徐々に起き上がる。使用者がログアウトした以上、ベッドはもう用を成さないからである。波留は安楽椅子に腰掛けるような角度まで起き上がり、首を横に振った。長く伸ばされた前髪が頬や額に当たる。それが若干鬱陶しく思え、彼は前髪を掻き上げた。
「――波留さん」
 ふと彼は自らの名前をリアルの音声で呼ばれていた。気付くと、彼が腰掛けるベッドの前に、青いツナギを着た男が立っている。それらは電理研から仕事を委託されたダイバーとしては制服めいた格好であり、現在の波留も身につけていた。
 そんな格好をした黒髪の男が軽く腰を曲げて波留を覗き込んでいる。今までバイザーが展開されていた位置だけに、その領域に踏み込んでまで覗き込むような事はしていない。若干腰が引けたような状況であり、それが彼らの心理的な距離でもあった。
「お時間掛かったようですが、大丈夫ですか?」
 それでもその男は波留に対して心配そうな言動を見せていた。波留はそれに微笑む。このダイバーは先程まで波留のチームでダイブの仕事をこなしていた同僚であり、以前も同じ現場で仕事をした経験があった。だから顔馴染みと言えばその通りの関係である。
「ああ…帰還間際にジャンクを見付けたような気がしたので寄り道をしてきただけです。御心配おかけしました」
 波留はそう説明をした。言いつつ身体をベッドの上でずらす。足を伸ばして放り出し、そっと床に下ろした。スニーカーの靴底が変哲もない床を捉える。今までは無重力めいた浮力の中で行動してきたが、地面を感じる事でリアルに帰還したのだと言う実感を得ていた。
 ベッドから下りつつ、波留はさりげなく右手を見やる。先程のメタル内においては痺れを感じた箇所ではあるが、現在は何も感じなかった。そっと指と指とを擦り付ける。
 そして彼は自らの電脳に、先程取得したジャンクデータを選択した。それを展開しようとするが、プログラムの形式が不明のために不可能であるとのエラー表示が赤字で点滅した。彼のメタル内でその赤字を視界にちらつかせつつ、リアルの視界にて辺りを見渡す。
 彼は今のダイブにて、身体を守るダイバースーツのプログラムを一部キャンセルする事で、右手の指先のグローブ部分を意図的に消失させた。防御プログラムに守られている自意識を、僅かにメタルの海の前に曝した事になる。
 しかしその手法を用いる事で、ここで取得したジャンクデータを自らの電脳に取り込む事に成功している。普通にログアウトして持ち帰ったならば、電理研のログに残ってしまい回収されてしまうそれを、自分のものとしてしまっていた。
 自意識にデータを直接曝し、意図的に脳内に溶け込ませる手法である。無論電理研からは推奨されない行為であるが、ダイバーとしてのハッカーやクラッカーの手段としてはメジャーなものであった。
 しかし、これを下手に行っては、自意識がメタルの海からの情報に侵される。ブラックアウトやブレインダウンの危険性を自ら呼び込む事となるのだ。
 それに、目当てのデータがそのままの形式で脳内に取り込まれる保証もない。データ自体も一瞬メタルの海に曝してしまう以上、海に溶けて混ざり合い、変質してしまう可能性を否定出来ないからだ。
 メタルダイバーの標準防御プログラムたるメタルダイブスーツに頼らない自意識防御の構築と、メタルの海に目的のデータを侵食されないようなデータ保持技術――それらを運用する事が出来て初めて使用すべきアンダーグラウンドな手法だった。
 そう言った手法であるために、電理研委託ダイバーとしてはあまり褒められた行為ではない。むしろ契約違反を咎められるような行動だった。電理研のためのダイブの中で、電理研の利益となり得るデータを掠め取った格好になるからだ。
 本来ならば波留はリーダーである以上、自分のチームのダイバーがそのような事をしないように監視する役割を担わなければならない。しかし当人が行っていては示しがつかない。だから、そう言った行為を行っていたなどとばれてはならなかった。
 波留は脳内に展開しようとしたジャンクデータをそのまま閉じていた。適当なフォルダに突っ込む。どうやら本格的な解析を必要としているようだった。そのためには自宅で腰を据えて行うべきだと判断した。
 そのような作業を脳内で行っているなどとは、表には出さない。波留は何食わぬ顔をしてその場に立ち、周りを見回す。彼のチームに所属していたダイバーは4名である。その全員がこの場に立っていた。波留を覗き込んでいた男の他に、その彼に歩み寄る人間や遠巻きに見ている人間。或いは所在無げに立っている者も居た。その全員がリーダーたる波留の指示を待っていた。
 波留は彼らに笑いかける。いつもの人好きのする笑顔を顔に浮かべていた。
「――えーと、お疲れ様でした。皆さん御無事のようですね」
 言いながら、脳内では彼ら全員分のダイブログをざっと閲覧していた。そこには凡庸なサルベージダイブの数々が残っており、誰も特にトラブルを抱えている様子は見られない。
「現在、電理研側が皆さんの仕事内容を簡単に査定しています。1時間程度経った頃には今回の報酬額が算定されて連絡されると思いますので、お暇な方はリラクゼーションルームで待ちましょうか」
 微笑んで定型的な説明を繰り出しつつ、波留は自らの周りに居るダイバー達を眺めていた。以前仕事をした事がある馴染みのダイバーがふたりと、そうではないダイバーがふたり。初対面のダイバーのひとりはアジア系とは思えない顔立ちと髪の色をしていて、どう見ても人工島外部から雇われた人間である。
 波留がメタルダイバーに復帰してから多忙さは少しは落ち着いたものの、まだまだ人工島外部の人間が特別に入島許可を貰って仕事を請けている現状は続いていた。だからこそ彼は、このようにダイバー達を現場で統括している。
 
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