|
電理研のエントランスは大きな吹き抜けとなっていて、職員以外の人間も許可を必要とせずに訪れる事が出来る数少ない場所だった。電理研に用がある人間はまずエントランスを訪問し、受付役のアンドロイドを介して内部の職員と待ち合わせを行ったりその奥への訪問許可を出して貰ったりする手筈になっていた。 ミナモは電理研職員の家族として、ある程度の侵入許可は得ている。それにメタルダイバーのバディとして公的に登録されている身分でもあるため、かなり深い領域までの許可を貰っている立場だった。現在ではそのバディ稼業は行っていないのだが、認可自体は消去されていない。 そう言う事情で、ミナモはエントランスより先に入り込む事は充分に可能だった。しかし、差し入れを持ち込む時は、エントランスで別の誰かと待ち合わせておく事にしようと心に決めていた。 だから8月以降、彼女は一切電理研の奥に侵入してはいない。内部に行くにせよそれは、父や兄と話すためのリラクゼーションルーム止まりだった。電理研の機密を垣間見る事が出来る区画に好きに侵入していたのは7月までの話であり、その当時はバディ業務を行っていた。 「――ミナモ様。お待たせ致しました」 自宅を飛び出し直行の水上バスに乗り電理研に辿り着きエントランスに至ったミナモは、すぐにそんな声を掛けられていた。 全く待ってなどいない彼女はその台詞のする方に振り向く。そこには電理研所属の秘書型アンドロイドとしての制服を纏ったホロンが立っていた。膝の前に両手を合わせ、ミナモに対して深くお辞儀をしている。 「ホロンさん、お久し振り」 「ミナモ様もお元気そうで何よりです」 自分よりも背が10センチ以上高いアンドロイドに深々と頭を下げられているミナモは、そのひとつに纏め上げている人工頭髪を見やりながら明るく言う。そしてホロンも顔を上げ、色がついた眼鏡の奥の瞳を優しく微笑ませていた。 ミナモは両手に提げている紙袋と、ふたつの弁当が詰まった手提げ袋とを、ホロンに差し出した。元気な口調と笑顔で告げる。 「これ、ソウタとお父さんに渡して下さい」 「統括部長代理と、蒼井衛職員にですね。承りました」 差し出された荷物をホロンは微笑んで受け取った。 「ミナモ様、そちらは違うのですか?」 そして何気なくホロンが指摘したのは、ミナモの手に残されたひとつの手提げ袋だった。 ミナモとホロンは、今朝にメールのやり取りを行い、この時間帯に差し入れを持ち込むので待ち合わせをしようと言う話になっていた。そしてそのやり取りは8月中に数回こなしており、手順もほぼ同様だった。だからアンドロイドたるホロンはそれを学習して行っている。 いつもならば、ミナモは差し入れの際には全ての荷物をホロンに預けるようにしている。しかし今日は、何故かひとつ余らせていた。それをアンドロイドは怪訝に思ったのだ。 電脳化していないミナモは確かに他の人間より荷物が多めになりがちではあるが、ホロンが見る限りあの手提げ袋には大した荷物は入ってないように思えた。ならばあれも差し入れであり、ひょっとしたら渡し損ねかもしれない――AIは杓子定規に思考した結果、そんな結論に至ったのだった。 「あ、えっと…うん、違うの」 そんな理論的なAIの思考を前に、ミナモは何故かしどろもどろになる。手提げを持っていない右手を広げ、胸の前で大きく振る。判り易く否定の意思を表明していた。 そして、少女は唐突に話題を変えた。若干顔を赤らめ、ホロンに顔を勢い良く突き出して言う。 「私、リラクゼーションルームに行ってもいいかな?」 そんなミナモに対してもホロンは相変わらず静かに微笑んでいた。冷静にAIが思考を巡らせ、答えを返してゆく。 「ミナモ様にはリラクゼーションルームへの入室許可は出されておりますから大丈夫です。しかし部長代理も蒼井職員も、安息義務にはまだ3時間以上ありますが…おふたりに御用件がおありですか?お取り次ぎ致しましょうか?」 「いや、そうじゃないの!只、久し振りにちょっと覗きたいなーって」 ミナモが見せた身振り手振りを交えた速攻の否定と、それを取り繕うような台詞のせいか、ホロンは不思議そうな表情を浮かべた。 こんなミナモを、ホロンは今まで見た事がなかった――この一旦初期化されたアンドロイドの記憶は、バックアップが取られていなかった4月12日から約3ヶ月間途切れており、もしかしたらその期間には見た事があるのかもしれない。しかしAIはその可能性までに思惟を達する事はない。「もしかしたら存在したかもしれない、今は存在しない記憶」までを考え始めては、AIの自我にも関わるからである。 「ホロンさんも忙しいでしょ?じゃ、私行くね!」 慌てた風にどたばたと、ホロンの前からミナモは去ろうとしてゆく。右手を挙げ、アンドロイドに挨拶の仕草をする。彼女の動きに、左手に持たれた手提げ袋が勢い良く振られた。 「あ、ホロンさん!」 「はい?」 駆け出そうとしたその時、ミナモは不意に振り返った。勢いにブレーキを掛け、逆方向に動く。手提げ袋がその度にその方向に従って振られ、中身は果たして大丈夫なのかと心配して然るべきな程に動いていた。 そしてホロンは怪訝そうな表情を浮かべたままだったが、少女に続きを促した。するとミナモは輝くような笑顔をその顔に表し、元気良く言った。 「そのブレスレット、いつも似合ってるよ!」 ホロンはミナモが残して行ったその言葉に、きょとんとした。しかしすぐに柔らかな微笑を浮かべた。視線を左手首に落とし、右手の指をそこに走らせた。彼女の左手には、銀色のブレスレットが嵌められている。 元気に突っ走ってゆく少女の姿は電理研では不釣合いだった。エントランスに居るアンドロイドや職員が彼女の姿を認めて驚きつつも、走りゆく少女を回避していた。 |