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暦は9月4日を迎えている。午前中の太陽の光が水路に降り注いで来ていた。 今日の波留は、水上バスの上の人となっていた。ドリームブラザーズの厄介になり始めても、買い出しなどで外出する日はある。仕事が忙しい日はメタルを介して宅配して貰う事も多いが、やはり外出は息抜きにもなったからだ。食材などは自分の目で見極めてから購入したい気持ちも強い。 しかし、今日は買い出しだけが用件ではなかった。予約も入っておらず終日暇なので、買い出しなら1日の何時出発しても一向に構わなかった。それがこの朝から外出しているのには、訳がある。 水上バスの行き先表示には、中央図書館が含まれている。そこは紙媒体の書籍が蔵書として保管されている施設である。 電脳化を前提とした社会が運営されているこの人工島においては、殆どの書籍も電子化されてしまっている。紙媒体の書籍を集めた中央図書館は、波留のような未電脳化者が利用するための施設だった。未就学者などの幼児などでは未電脳化者が当たり前に存在し、様々な事情で電脳化を選ばない人間も稀に居るため、この手の施設も未だ人工島には必要とされていた。 この路線と今の時間帯では、通勤客もあまり乗車していない。小型の水上バスには波留以外には数人が乗っている程度で、座席にも空きが目立っていた。 波留はペーパーインターフェイスを取り出し、いじっていた。特に用件がある訳でもないが、暇なためにメタルのニュースコミュニティに繋いで今朝のニュースをチェックしておく。 水路を一定の速度で流れてゆくバスの背景では、街並のあちこちに掲げられている広告の類が存在している。その中には評議会や電理研が掲げる公的広告スペースもある。メタル再起動直後ではその進捗情報を伝えるものが大半を占めていたが、1ヶ月を経た現在ではそれも殆どが掲示期間を終えていた。 代わりに目立ってきたのは、今後の流星群などの予定である。評議会は新たな観光資源として天体観測を据えた。その天体ショーなどを楽しむためには、ある一定の日に消灯するなどの現地の人間の協力も必要だった。それらの告知である。 そして評議会からの告知としては、来年1月から始まる書記長選のものもあった。まだ3ヶ月も先の話だが、早くも戦いは始まっているらしい。現職の強みで基盤を確保しているタカナミ書記長が大写しになっている広告が見られた。 波留が眺めているニュースコミュニティでは、その書記長の定例会見が朝から中継されていた。民主主義を標榜しているこの人工島では、情報公開は重要な事とされている。そのために毎日の定例会見も一般人が視聴出来るように中継され、そのログは何時でも閲覧する事が出来た。 カメラ映りや口調など、全てにおいて意識された言動を行うタカナミ書記長の姿を波留はそこに見る。7月のあの騒動の中、波留は彼女とも協力し合っていた。だから個人的に会話した経験もある。しかしそんな縁は危機が去ればすぐに終わってしまうもので、あれ以来特に連絡を貰う事もない。 「――偉そうな事言ってもさ、久島部長暗殺未遂の件、どうなったんだよ」 ふと、波留の耳にそんな言葉が届いた。どうやら前の席に座っているふたりの男の会話が聴こえてきたらしい。彼らは彼らでメタルに接続し、この会見を見ている様子だった。そして電通ではなくリアルで会話しているようだ。 ともかく7月のあの日以来、タカナミ書記長にはそう言った疑惑が掛けられていたのである。それはうやむやのまま彼女の権限は凍結され、式典が強行され、気象分子は散布された。今となっては、波留にはあの疑惑は政治闘争の産物だと判っていた。 「あの報道、違うんだろ?結局株主が株価操作のために部長をテロったってのが評議会からの発表じゃないか。そいつ逮捕されたし」 「その評議会を押さえてるのがあの女だろ。捜査結果なんかいくらでも捏造出来るっての」 「あの人、そこまで偉いか?他の評議員が黙ってないだろ」 「美味しい席だから次の書記長選にも出るんだろ」 「…でもまあ、あの事件には色々な説があるけどな。評議会に隠したい事があるってのは事実なんだろうな」 「だろ?」 「そもそも部長の義体がハナマチで発見されたってのは何なんだか。あの人何やってたんだそんな所で」 「あの辺、色々と怪しい託体施設があるから、犯人が利用してそこで脳核攫ったってのが定説だろ?」 「でもなー、部長って技術馬鹿って話だから、色々と分け隔てなくやばいプログラム扱ってた気もするんだよな」 「そんなもん、電理研のオフィスでやってりゃいいだろ。あの人も滅茶苦茶偉いんだから、誰にも知られないような領域で遊ぶ事も可能だろうに」 「そりゃやっぱ…ハナマチならではのもの、拾いたかったんだろ」 「…あの人も男だったってか?」 そしてふたりは苦笑気味に笑っていた。後ろに座る波留の視界に、揺れる彼らの肩が入っている。 そして波留も眉を寄せつつも僅かに苦笑していた。彼らが好き勝手に噂していたその人物は波留の親友であり、おそらく事実は異なるだろう事は彼にも判っている。親友はそう言う性格ではないからだ。 しかし奇妙な噂を立てられて笑いのネタにされるのも、久島部長がそれだけ世界的に有名なのだから仕方のない話だった。おそらくメタルコミュニティのあちこちでは、もっと物凄い噂を立てられている事だろうと波留にも推測がつく。 彼の現状を考えると実は笑ってなどいられないのだが、こんな風な会話が成り立つのはこの人工島が平和な証拠だと思った。彼らにとっては「久島部長」の事など、結局の所はあくまでも他人事なのだから。 |