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その時、不意打ちのように、波留は後頭部に衝撃を感じた。 どんと突き飛ばされたような感触がして、思わず彼の頭が前のめりに倒れた。接続バイザーに表示された顔文字が泣き顔めいたアイコンに変化する。 波留は驚き、未だに何かが乗っているような感がしている肩口を覗いた。バイザーは透明で外部から装着者の顔が見えるのと同じく、装着者からも外部の様子を直に見る事は出来る。接続したメタルの画面を消すように脳内でコマンドを試行してから、波留は首を巡らせた。 彼の肩口には、何時の間にそこまで動いてきていたのか、シュレディンガーがちょこんと乗っていた。左肩の上に上手い具合に座り、絶妙なバランスで顔を上げて波留を見ていた。バイザーの後部に揺れるケーブルめいた装備も気になるのか、視線がそちらにも向き、一定しない。 この状況には驚きを隠せない。何をしたいのかこの猫はと思ってしまう。餌なら充分に与えただろうに、これ以上食べたら太るぞと心中で愚痴る。 ともあれこのままでは左肩のみが重くて仕方がない。波留はゆっくりと両手を挙げる。肩乗りシュレディンガーは一向にそこから立ち退く様子もなく、座り続けていた。波留はバイザーに手を掛け、慎重に顔を引き抜いて行った。 色が付けられたバイザーに覆われた視界が、元のものに戻る。圧迫感はないにせよ、心理的にはやはり違いを感じた。解放され、溜息をつく。 そのまま彼は、ソファーの隣にバイザーを下ろした。すると猫はそろりとその身を伸ばし、波留の膝の上に降りた。そのままそこでだらりと身体を垂れ下がらせる。膝を全体的に覆うように身体を伸ばしたまま眠ってしまう勢いだった。 もう顔文字は表示されないが、誰が見ても判り易く困った表情を浮かべた波留は、その猫の背をゆっくりと撫でた。すると「彼」は気持ち良さそうに喉を鳴らし、軽く鳴いてみせた。本当に何がしたいんだと、波留は思う。 波留はふと視線を、前方にあるテーブルに向けた。そこには唐津の資料とフランス語の書籍が重ねて置いてあった。彼はその最上部に置かれたフランス語の表紙を、遠目で眺める。 ――僕が居なくなったら、あの子はどうなる?どうするのだろう。 滑らかな猫の毛並みを手に感じつつ、波留はそう思い始めていた。 自分以外の人間には一切姿を見せないつもりならば、自分が人工島から去った後はどうなってしまうのだろう。物凄く落ち込むのではないだろうか。 イルカとは体重との対比で考えると、人間と脳の容量が近い生物である。と言っても人間とは脳の構造が違うため、俗説のようにそれが即人間に匹敵するような知能の高さに繋がる訳ではない。それでも動物としては頭がいい部類には入る。とすれば、「友達」が居なくなれば、やはり寂しさを感じるものだろうか。 ふと、あの当時の唐津でのイルカの事を思い出す。あの子は確かに彼の「友達」だった。しかし事故以来、当然ながら会っていない。前述したようにイルカの寿命とは、自然環境においても30年弱である。50年を経た現在では、あのイルカは生きてはいないだろう。 あの子は、僕が来なくなって、寂しかっただろうか?それとも、仲間と共に生きていっただろうか?――そんな事を考えてゆくと、波留は僅かに心を突き刺すような感覚を覚える。 もう、同じような目には遭わせたくはない。 あの子の事を調べて対策を考えてからでも、唐津に行くのは遅くはない話だった。何せ今の自分には、時間はたくさんあるのだから。 波留の膝の上では、相変わらずシュレディンガーがのんびりと伸びている。 |