「――波留さんはお元気ですか?」
 そんな事を思いつつ、ソウタは兄弟に話を振る。そしてこの人物の話題となると、若干ながら目を細める自分を感じた。――やはり、あのように別れて以来連絡を取っていないとは言え、懐かしさはあるらしい。
 波留が超深海ダイブから電理研に報告に戻り、そして出て行ってから1ヶ月になるが、ソウタも波留がドリームブラザーズに厄介になっている事は知っていた。あれ以来すっかり波留とは没交渉となっていたが、この兄弟とはメタルダイバーとその依頼を出す統括部長代理と言う関係を保っていたため、波留の動向はそれとなく伝えて貰っていたからである。
 それでも調査機関としての電理研のように本気で波留を調査している訳ではなく、あくまでも世間話の延長で噂話のように訊いていた。丁度、今日のような軽口を取り混ぜた会話を交わしての事である。
「ああ。相変わらずうちの店の面倒を看てくれててさ。客からの人気も高いし、もうずっとうちに居てくれないかなって感じだぜ」
「…それは良かった」
 若干緩められつつも相変わらず弟にヘッドロックされている状態からのアユムの答えに、ソウタは安堵の溜息を漏らした。波留がメタルダイバーを辞めてしまったのは電理研としては惜しい限りではあるが、彼が第2の人生を楽しんでくれているなら、ソウタとしてはそれで良かった。
 4月中旬からの7月末までのたかだか3ヶ月強の付き合いではあったが、それでも彼の中で波留と言う人物は特別な存在となっていた。彼は50年と言う長い月日においてとてつもなく困難な状況に陥っていたのだから、それを取り返した今は存分に幸せになる資格があるはずだと思っていたのだ。
「――でも」
 アユムの笑顔が不意に翳りを見せた。じゃれるように足掻いていた様子が、沈黙する。その顔が傾き、下を向いた。
「あの人、もうじき人工島から出て行くだろうな…」
「…え?」
 アユムの突然の調子の変化とその台詞の内容に、ソウタは短い声を上げた。怪訝そうな表情を浮かべる。
 その時には、アユムに絡んでいたユージンの腕から力が抜けていた。アユムは難なくヘッドロックを掛けてきていた弟の腕を首から外す。そして弟を見上げ、ふたりで視線を交わす。
 そしてアユムは頭に手をやった。軽く髪を掻き、いじる。若干顔をしかめ、ソウタに言った。
「波留さん、最近、唐津の資料とか集めてるんだよ」
「唐津――ですか?波留さんの故郷の」
 ソウタはアユムの台詞にそう付け加えていた。彼にもその地名に対してはその知識があった。しかしそれだけだった。
 彼は人工島生まれの人間であり、日本を訪れた事もなかった。だから唐津と言う場所が果たしてどんな所なのかは知らない。メタルに接続すればバーチャルに体験出来る観光地もあるだろうが、地元自体がそう言うものをメタルのコミュニティに準備しておいてくれなければ、体験など出来ない。
 アユムはつまらなそうな表情と声色で話を続ける。――彼は、帰宅した日の出来事を思い起こしていた。
「その海がまだ暖かい10月までには行きたいって言ってたよ。そして行ったが最後、この島に戻ってこなきゃならない義理って、あの人にはないしな」
「…そうですね」
 ソウタは静かに頷く。確かにそうだと彼は思った。
 昔はどうあれ、現状では波留は未電脳者であるし、それ故にメタルダイバーではない。そう言う人間が、メタルへの常時接続を基幹システムとしたこの島に居座るような拘りなどないだろう。
 ソウタの妹も波留同様に未電脳者ではあるが、彼女がこの島に居るのは家族が住んでいるからだ。それまではオーストラリアの祖母宅に居て、そこでは電脳化していなくとも何ら不自由なく生活していた。
 特に、波留は50年間眠っていて、起きたらこの島に居たのである。自分から望んでこの島にやってきた訳ではなかった。だから、居住資格を持たない外部の人間が羨もうとも、この島から出て行く事を惜しいとは思わないだろう。
 自分の故郷が未だに健在で良い場所ならば、そこに戻って生活しようとしていてもおかしい話ではない。資産は相当にあるのだ。ダイビングショップでも開いて、故郷の美しい海と共に生きる姿が、ソウタには容易に想像出来た。おそらくフジワラ兄弟もそうだろう。
 それらの事情は常識を働かせたならば誰にでも推測は可能だろう。しかしソウタとしては、更に別の事情を思わせた。そしてそれこそが、波留にとっては最も重要なのだろうとも。
 ――先生がもう居ないこの島に、波留さんが執着などする訳がない。
 ソウタの心中で、その独白が響き、染み入る。
 1ヶ月前、どうして波留が電理研から去ったのか、ソウタには理解が出来なかった。帰還以来、未電脳化状態に陥ったとは言え、再電脳化は可能だと言うのにそれを選択せずにメタルダイバーを辞めてしまった。その心理が良く判らなかった。
 しかし、今は、理解出来る。
 彼は眉を寄せ、自由な左手で拳を作った。指を曲げ、強く握り締めてゆく。
 
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