まず刻んだニンニクを炒めて香りを出し、そこにホールトマトを入れて潰しつつ煮詰めてゆく。塩コショウなどで味付けは行うが、ニンニクを生かすために調味料は軽く投入するだけにする。
 その間に寸胴鍋ではパスタを茹でておく。後でフライパンでソースを合わせて煮るために、茹でる時点では僅かに硬いままで大丈夫なものである。
 ――波留のそう言った手際の良い作業の前に、フジワラ兄弟はあれから30分のうちには軽食にありつく事が出来ていた。ふたりの前にはそれぞれの皿が出され、その上には暖かな湯気を立てる紅いソースが乗ったパスタがある。夕食前と言う事でパスタの量は若干少な目にしてあった。
 笑顔でふたりがフォークをパスタとソースに絡めている頃、カウンターキッチンの向こう側では、波留がまた別の作業を行っていた。先程まで使用していたフライパン類を軽く洗い、ある程度片付ける。
 そしてまた調理器にフライパンを掛け、熱し始める。その上に軽く白い煙が立ち始めた頃にオリーブオイルのボトルを傾けて、垂らす。その脇では、冷蔵庫の冷凍室から取り出してきた冷凍もののシーフードの袋を開けていた。
 その様子に、ユージンが怪訝そうな表情を浮かべる。
「――波留さん、何してるんですか?」
「今晩はピラフのつもりですので、今のうちに具材を煮込んでスープを作っておこうかと思いまして」
 どうやらキッチンに立ったついでと言う事らしい。後々炊飯器で炊くにせよ、そのためのスープは今のうちに取っておいても大丈夫なのだから。
 それにしても、つくづく脳内に予定が出来上がっている人らしい。行き当たりばったりに生活している何処かの誰かにも見習って欲しいものだよ――などと思い、ユージンはさりげなく隣でがっつくように食事をしている兄を見やっていた。
「――そういや、波留さん」
 その兄は、弟からの視線など気にはしていない。パスタからフォークを離し、軽く立てるようにして顔の前に持ち上げた。
「さっき届いた郵便って、一体何なんですか?」
 そんな事を訊いてきた彼に、波留は視線を向けた。手元で具材が炒められる音を響かせつつ、アユムを見た。その作業はおろそかにはしていない。しかし彼はその視線を固定しているものの、何も答えず只アユムを見ているだけだった。
「…いや、訊かれたくないんなら、答えなくていいんすけど」
 まじまじを見つめてきている波留の視線に怯んだかのように、アユムはそんな風に尻込みしたような言葉を出していた。その態度に波留はふっと笑う。
「いえ、そんな事はありませんよ」
 言いながら視線をアユムから外す。しゃもじで具材を掻き回す手元を見た。具材が炒められる香ばしい匂いを含んだ白い湯気を顔に当てている。その具材にはある程度火が通り、そろそろスープを入れて煮込むべき状態だった。
「唐津の観光協会から、資料を送って貰ったんです」
 波留は大き目の計量カップにコンソメを溶かしたスープを準備し、フライパンに注ぎ込んだ。一瞬水が熱せられる音がキッチンに響き渡るが、彼の台詞が遮られる程の音量ではない。すぐに大量の水によりその音も落ち着き、一旦静かになった。
「唐津?」
 アユムはその地名をオウム返しに口にしていた。それは、彼には心当たりがない地名だった。
 彼らは苗字こそ日本名だが、出身地は日本本国ではない。ルーツは日本ではあるが、それは親世代の話である。彼らは近辺国家の移民出身であり、更にまだ未成年の頃にこの人工島に入植した身分だった。
 そんな彼らにとっては、日本とは近くて遠い国である。住み易い人工島の住民である以上、日本など敢えて訪れるような国でもないように思われていた。
「…日本の南にある観光地ですね。やっぱり海が綺麗で、いいダイビングポイントなんですっけ?」
 首を傾げるアユムに代わり、隣に居たユージンがすらすらと答えていた。食事の手を止め、顔を上げて波留の方を見る。
 波留も顔を上げ、ユージンの方を見た。どうやら答えが返ってきた事が意外だったらしい。
「御存知でしたか」
「ええ。ダイバーの端くれとして、近場のポイントは調べておいてるんです。…まあ、なかなか行けはしませんけどね」
 ユージンのこの台詞の最後の方では、苦笑交じりとなっていた。金銭的な事情と時間的な事情がそこにはある。更に言うならば、無理をしてでもそれらの事情を吹き飛ばして行こうと思う程の興味も持っていないと言う事でもあった。
 波留は薄く微笑んでいた。フライパンに湛えられたスープの水面を見やる。そろそろ多少の灰汁が浮かんできているようで、おたまを手にそれを掬い始めていた。
 ユージンはフォークを皿に静かに置いた。ミネラルウォーターが入ったコップに軽く口をつけ、水を含み飲み込んだ後に波留に訊く。
「今度、唐津に行くんですか?」
「そうですねえ…いずれお休みを頂けたら」
「うちは別に何時でも構いませんよー波留さんの好きな時に行っちゃって下さい」
 今度はユージンの会話に割り込んできたアユムが、気楽そうな声を上げていた。少なくなったパスタにフォークを差し込み、ソースを絡めて啜り上げる。
 しかし店の管理人にそうは言われても、ドリームブラザーズでの仕事を一任されている以上、波留としてはそれを簡単に投げ出す訳にもいかない事情があった。1ヶ月間の業務だったとは言え、それらについてはある程度の引き継ぎなどはしなくてはならない。
 その事情は、半ば憮然とした表情を浮かべて兄を見つめるユージンの表情からも見て取れていた。弟の方はそこまで気楽には考えられないらしい。
 ある程度灰汁を取り終わり、波留はスープをおたまで軽く掬う。口につけ、味を見た。それから塩コショウなどで味付けを行う。
 中火で熱せられて揺れるスープの水面を眺めつつ、彼は口を開いた。
「いい海ですよ。皆さんも行ってみては如何ですか?」
「いやあ、俺らはなかなか…――って波留さん、って事は唐津に行った事あるんですか?」
 言い掛けて気付いたらしく、アユムはそんな事を尋ねていた。確かに波留の口振りでは、この資料収集で初めて唐津に向かおうとか、そう言う訳ではなさそうだと彼にも判ったらしい。
「ええ。昔、住んでいたのです。今でも観光地として生き残っているようですから、海は綺麗なままなのでしょうね。流石に多少は様変わりしていそうですが」
 波留の台詞に、アユムは納得したように頷く。両手を軽く合わせ、ぱんと音がした。楽しそうな表情を浮かべる。勢い込んで前のめりになり、波留に向かった。食べ終わった皿を肘の隣に押し退ける格好になる。
「住んでたんなら、そりゃ行きたくって当然っすね!その違いも楽しみになるでしょうし」
「日本ですから四季がはっきりしている場所ですからね。もう9月ですから、海もそろそろ冷たくなってきているでしょうか…地球温暖化で10月までは大丈夫ですかね。それまでには行ってみたいものです」
 波留の言葉にアユムは頷き続けていた。それに対し、ユージンは最後の一口を口にしようとして、動きを止めていた。
 彼は、期間を区切られたような気がした。波留にその気があるのかないのかは判らないが、深層意識ではそう言う事なのではないのだろうかと思った。
 そんな思いを抱きつつ、ユージンは波留を見やった。その黒髪の青年は相変わらず微笑を浮かべて、フライパンに向かっている。煮込まれるスープから立ち昇る湯気が、彼の顔を白く煙らせていた。
 
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