人工島に存在する施設の大半には、屋内であっても植物が各所に配置されている。そしてそれらの間を縫うように水路が走る。
 水と緑と言う、端的に自然を感じさせるものをふんだんに用いて設計されるのが、人工島における建築物のコンセプトだった。それは公共施設から一般住民の家屋に至るまで、徹底されている。景観も大切にしてこそ、人工島のイメージは保たれるからである。住民5万人と言うこじんまりとした規模の島を、人工的に一から作り上げたために、その辺りのコントロールは未だに可能だった。
 そのコンセプトは、この人工島中学校においても外れる事はない。正門の両脇に設置された女性像が手にする壷から水が延々と水路に流れ続けているのを皮切りに、校内のあちこちに水路が張り巡らされている。校舎内でもそれは変わらず、微かな水音が元気な子供達の声に紛れて聴こえてきていた。
 校舎の壁面の各所に大きく配置された窓からは、朝日が差し込んできている。常夏の南国の朝日は9月を迎えても眩しいものだが、ガラス窓に透過される事によって柔らかな印象を与えるまでに自然に減光されていた。その光を浴びつつも、生徒達は1ヶ月振りにこの校舎に登校して来る。
 人工島中学校は公立学校であり、その生徒は男女別に教育を受ける。彼らは同じ敷地内に登校してくるが、利用する校舎は全く違う。通常時に顔を合わせる事はなかった。
 この校舎は女子部の生徒が通う場所である。そこに登校してくる生徒達の中で、一際大きな荷物となっている鞄を肩に掛け、蒼井ミナモは階段を昇ってゆく。
 中学校では最終学年である3年生の教室は、最上階の3階に位置している。その突き当たりに存在する3-Aと掲げられた教室の入口の引き戸は開いたままで、ミナモはその敷居を元気一杯に跨いでいた。誰に呼びかけるでもなく朝の挨拶を行い、そのまま髪を揺らして教室の後方へと歩いてゆく。
 教室では既に過半数の席が埋まっていた。それらの席にはセーラー制服着用の女子生徒達が座っていたり、ある席に数人が固まって朝の他愛もない会話を交わしていたりしている。その合間を縫って、ミナモは教室後方に存在する自らの席に向かっていた。
 大きな鞄が机と机の合間の通路に立つ生徒を押し分けるようにして進み、ミナモはその度に生徒達に軽く挨拶をしてゆく。ようやく自らの席に辿り着いたミナモは、その机の上にまず大きな鞄を下ろした。ちょっとした硬い音が机に響く。そこまで重い荷物ではないがそれでも肩が解放され、ミナモはその肩に触れて一息ついた。
「――ニャモ、おはよう」
 すると、すぐにミナモの席の前に、ショートカットの茶髪の少女がやってきた。そんな挨拶の声を上げ、軽く手を挙げる。ミナモはそれに笑い、自身も手を挙げてちょっとしたハイタッチをした。
「サヤカ、久し振り」
 笑顔を浮かべたミナモに神子元サヤカは笑って頷き、ミナモの前の席に着く。そこはサヤカの席ではないのだが、本来の主はこの教室の別の場所で友人達と親睦を深め合っているらしかった。
 ともかくサヤカはその席に横座りする。立っているミナモの視点から見える彼女は相変わらず肩まで袖を捲り上げた状態で、日に焼けた肌が露になっていた。
「夏休み、どうだった?」
 サヤカは身を乗り出し、ミナモの机に片肘を突いて訊いてくる。今日は2061年9月1日であり、この人工島中学校の2学期の開始日であった。
 学校教育制度が3学期制であり9月に2学期が開始されるスケジュールの国は、世界中に視野を広げると多数派ではないのだが、日本の多数の学校においては現在もその制度が保たれている。そして人工島では、島の建築と入植当時から今に至るまで、日本人が一大勢力を占めていた。
 そもそも人工島建設に対し多大に関与した電理研は、初期においては日本の独立行政法人だった。人工島とはアジアの様々な国家が協力して構築した社会とは言え、そう言う事情で日本人が全てに関わっている。だから社会の各所に、日本の影響が色濃く表れている。その流れは現在も汲んでいるのだから、日本人に合わせた様式が各所に残されていてもおかしな話ではなかった。
 9月を新学期としている国も多いが、人工島では日本同様に9月を2学期開始としている以上他国からの編入にも充分に対応出来るために、酷く馴染まない状況ではない。結果的に、教育を受ける当事者もその周りの大人達も、制度を特に変更しようとはしていなかった。
 ともかくこの人工島中学校の生徒達は、約1ヶ月間の夏休みを思いのままに過ごしてきていた。それはミナモ達も同様である。
「実習の後、どうしてた?」
 サヤカの言葉は続いている。彼女らは夏休みが開始した7月末から、アイランドの介助施設にて介助実習を受けていた。それは約1週間の期間であり、それを終了した後はそれぞれに夏休みに突入していた。
「私は人工島に残ってたよ」
 言いながら、ミナモは机の上に鞄を落ち着けた。持ち手がぱたりと鞄の上に覆い被さる。特に蓋もつけられていない鞄からは、大きな接続バイザーの透明部が垣間見えていた。
「お父さんもソウタも電理研で忙しかったし、お母さんも次の観測地に行っちゃって。お祖母ちゃんにおいでって言われたけど、私だけオーストラリアに行ってもね」
 ミナモは彼女なりの言葉で、自らの夏休みを説明していた。客観的に言うならば、彼女の父と兄は電理研に勤めており、その電理研は7月末のメタル停止とその再起動、その後のメンテナンスに掛かりきりになっていた。7月末時点から全ての職員は総動員され、流石に8月も中盤を過ぎると少しは落ち着いたが、それでも多忙には変わりはなかった。休暇を取る状況ではない。
 一方、彼女の母は海洋学者であり、先の事件においては電理研に招聘され協力していた。彼女もまた電理研の激動に巻き込まれ、彼女の任を果たしていた。そしてそれが一段落した8月中旬には、また別の海域に調査に向かう事となった。それが彼女の日常であり、蒼井家の人間はそれを受け容れていた。
 自宅に残されたのは、娘であるミナモのみとなる。祖母はオーストラリアに隠居しており、夏休みの彼女を誘ってはいたらしい。しかしミナモはそれを断り、人工島で8月を過ごしていた。
 相槌を打つようにサヤカは頷き、片手を挙げてミナモに話し掛ける。
「オーストラリアって、今の季節だと冬だよね」
「うん。お祖母ちゃんが住んでる辺りは結構寒くなるんだ。避暑ってよりは冬」
 オーストラリアの大陸中央部に位置するアリススプリングスには彼女の祖母の自宅があり、そこにミナモも幼い頃から今年の4月まで滞在していた。アリススプリングスは内陸部だけあり非常に乾燥した土地であり、日中の温度差も激しい。そして南半球の8月は真冬であり、雪こそ降らないものの相当に冷え込むものだった。人工島との落差は激しい事だろう。
 そんなふたりの会話を聴いていたのか、その隣から割り込んできた声があった。軽い挨拶を告げた後に口を挟んでくる。
「――予定通り、私はスイスに行ったよ」
 若干高目の可愛らしい声の主がミナモの隣に立っている。黒髪をポニーテールにして、ミナモより少しばかり背の低い少女が目を細めて話し掛けて来ていた。
 その腕がミナモの机に伸び、軽く手をつく。白い肌はもちもちとした印象で、全体的にミナモ達よりもふっくらとした印象だった。
 その伊東ユキノもまた、ミナモ達同様にアイランドの介助実習に参加していた。そして実習期間の1週間後に彼女らと別れ、彼女なりの夏休みを過ごしてきたらしい。
 ユキノは実家には料理長が居る程のお嬢様であり、海外に避暑目的としての別荘も持っている。スイスもそのひとつであった。
「スイスのチーズはやっぱり本場だから、美味しかったなあ…」
 そんなふっくらとした少女が、半ば夢見がちな瞳を中空に向け、そんな事を言い出していた。彼女の脳裏には様々な種類のチーズが飛び交っているのだろうと、他2名はそれぞれに推測する。
「後ね、お隣のオーストリアにも行ったの。ザッハトルテ、美味しかったの」
 ユキノの言葉はまだまだ続いている。顎に指を当て、にこにこと微笑を浮かべて言い募っていた。
「本場のはケーキ自体がかなり甘くてね。添えられたクリームがそれに合うのよー」
 その状況と味とを思い出しているらしい。ユキノは満面の笑みを浮かべ、両手を頬に当てて楽しげに笑った。
「コーヒーも美味しいのよークリームたくさん入れてねー」
 ユキノは頬に両手を当て、楽しそうに身体を揺らしている。その様子を半ば投げやりな視線で、ミナモとサヤカは見守っていた。彼女らはユキノのこの手の態度には慣れてはいた。今の状況は、予想の範疇と言っていい。こと甘いものに関するとなると、ユキノは周りが見えなくなるものだとも。
 
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