波留はそう言い放たれた時も只アユムを見ていたが、そのうちに缶の冷気で持つ指が痺れてきた事に気付いていた。そちらに意識が逸れ、結果的に我に返る。 視線を落とすと、手すりについている左手首に装着したままのダイバーウォッチが視界に入る。そのデジタル画面には先程潜った水深が表示されたままになっていた。そしてその数値は、彼が50年前に潜り事故に遭遇した時と同じような水深を示していた。 その画面に、髪から垂れてきた海水がぽたりと落ちる。傾いた顔に海水が筋を作り始める。口許が塩辛い。彼の下にある海が揺らいでいた。彼は視線の隅で静かに漂う海面を見やる。 そして波留は、顔を上げた。目を細め、アユムの方を向く。口許に笑みの形を作り出し、爽やかな表情を浮かべた。太陽の光がタオルに覆われた隙間に覗く濡れた髪を照らし出し、僅かに輝かせていた。彼はそこに温もりを感じる。 「――ありがとうございます」 光の陰影を顔に帯び、波留はアユムに笑いかけていた。 彼のその視界の向こうには操舵室があり、弟のユージンが操船に掛かりきりになっているはずだった。おそらくはこの話はアユムの電通により、彼にも届いている事だろう。 ドリームブラザーズに金銭的な負担が増えないならば、ユージンにも特に反対はされないだろうかと、波留は思った。自分自身は金に困っていないから、賃金が発生しなくとも構わなかった。 むしろ軒先を貸して貰うだけのお礼をするべきではないかと思う。食費位はさりげなく賄う事としよう――どうやら料理担当は自分になりそうだから、その分の買い物を自力で行えばそれでいいだろう。そんな事を考えている。 彼が右手に持つビールの缶はじっとりと水に濡れている。同じ姿勢で持ち続けているために、指がかじかんで来ていた。波留は缶に左手を添える。冷蔵庫で冷やされたような普通の冷たさの缶を掌に感じる。それに、何故だか微笑が浮かんできた。 彼らが乗っている小型船はゆっくりと陸へと向かってゆく。もうじきドリームブラザーズが利用しているハーバーへと着岸する事だろう。 ――ミナモさんは言ったじゃないか。宝物は必ず見付かるって。 人工島の岸壁を見やりながら波留はそう思う。先日アイランドで別れたあの少女の満面の笑顔が、傍に感じられたような気がした。 全てが変わってしまったとしても、取り返せるものはあるはずだ。僕はこれから、せめてこの海を取り戻せばいい。 今の僕に遺されたものは、これだけなのだから。 波留の脳裏にはそんな言葉が思い浮かんでいた。 空には太陽が浮かび、その真下には広大な海が広がっている。 |