無事カフェでの決算を終えた後、波留は水上バスの人となっていた。
 空では太陽はそろそろ傾いている。それでも平常勤務の人々の帰宅の時間はまだだった。基本的に学校は夏休みの期間だけあり、バスには歳若い人間が多い。
 波留には特に目的地はない。単に水上バスに乗っただけだった。彼に行く当てはなかった。今まで住んでいた事務所は、あの晩に引き払ってしまっていたからだ。
 あの事務所は元々は彼の親友に与えられたものだった。確認してはいないが、登記上はその親友名義か或いは電理研所有の物件となっているだろうと想像はつく。もし後者ならば、引き払った時点でもう波留のものではなくなっている。前者であれば、親友が消失した時点で所有権が宙に浮いた状態になっているだろう。そうであっても波留が再び入居して良い理由にはならない。
 そもそも波留は「もう生きては戻れないだろう」と思い、事務所を引き払ったのだった。それが望外に帰還出来たからと言って、再びあの事務所に戻る気にもならなかった。あの事務所に集った人々が再度集結する事など最早あり得ないからだ。親友はリアルから去り、介助用アンドロイドは初期化され、非常勤の青年は今や電理研の統括部長代理だ。全てが変わってしまった。
 何より波留自身こそが若返り、更にはもう電脳ダイバーではなくなっていた。となれば、あの事務所を維持する理由もなかった。
 先程確認した通り、金銭的に余裕はある。暫くホテル住まいでも一向に構わない。今後の事を考える時間はいくらでもあった。――そんな事を思う波留を乗せた水上バスは、人工島の南部へと通じる水路を悠然と進んでゆく。
 彼が着いている座席の周辺では、学生らしい少女達が賑やかに会話している。彼は相変わらず窓際の席を選んでいるが、その向こうには街並が続いていた。時折反対側の水路から、交錯するように別方向へ向かうバスや個人船が走ってゆく。いつもの人工島の光景だった。
 ――これが、僕達が守った島か。
 波留はそう思い、目を細めて笑った。傾いて少しばかり弱まった陽光が彼の黒髪を照らし出し、光を帯びさせていた。
 
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