電理研とは、メタリアル・ネットワークを構築・運営する人工島の基幹企業である。そしてそれだけに留まらず、メタルが関連する様々な業務を関連企業として抱えている。 付属のメディカルセンターもそのひとつである。そこは通常の病院業務も行っているが、電理研の仕事を行ったメタルダイバーのメディカルチェックなども委託されていた。 通常の義務的なメディカルチェックならば、電理研本体で行われている。メディカルセンター送りになるダイバーとは、ダイブ中にブラックアウトを引き起こしたり一時リンクが切断されるなど、何らかのトラブルに巻き込まれた立場だった。脳に異常が発生している可能性があり、治療を施す必要が考えられるからである。 今回の波留もある意味そう言う立場であり、メディカルセンター送りとなっていた。何せメタルダウンした時点ではロスト状態にあった訳である。オペレーションルームで捕捉出来ない時間帯が存在する時点で、詳細を検査する必要があった。 更に彼にはメタルダイバーとしての検査だけではなく、リアルの海を対象としたダイバーとしてのものも課せられていた。彼は単に海に潜った訳ではなく、その深度は5000m級だった。充分に開発された専用ダイブスーツを使用したとは言え、通常の人間がやる事ではない。 そしてそのリアルダイブでも彼はロストしていた。精神的なものであるメタルダイブ以上に、それは危険な事態である。そうでなくとも、波留は「若返り」と言う常軌を逸した事態にも見舞われている。だから身体的な検査も念入りに行われる事となった。 結果的に波留の検査は複雑を極め、多岐に渡って行われた。アンドロイドに案内されてメディカルセンターに到着し、病院服に着替えた直後には早速検査室に送られていた。それからあちこちの部屋を巡り、その度に担当するスタッフが替わる。電通などで申し送りは完璧であるようだったが、それでも波留には「僕に関わる人間がここまでたくさん居るとは、ここはそんなに暇なのか」と半ば呆れさせる結果となっていた。 勿論、医療スタッフには各々の専門があるために、その専門ごとに波留に関わっている。しかしそれだけではない。波留の奇妙な状況と経歴とに興味を持った人間は、確かに多かったのである。 波留がメディカルセンターに到着したのは、7月31日の昼下がりだった。それから夜を迎えるまで、延々と検査が行われていった。流石に夜を徹して検査を行う事は非効率であるし、それ自体で波留のデータが変動してしまう。そのために波留は一晩メディカルセンターに泊まる事となった。 そして人工島の空が白み始める頃には、彼は再び検査に明け暮れる事となる。そんな2日目を迎えると、波留はまるで自分が実験動物か何かになった気分に陥っていた。もっとも、そう言うサンプルのような扱いを受けるだけの前提が自分に存在している事は、彼にも否定出来ない事実だった。 最中に、以前の担当医に再会しつつも――その担当医は波留が歩けるようになった際にも驚いていたが、今回は更なる驚きを見せていた――波留がどうにか検査を終了したのは、月が替わった昼下がりだった。 病院服からアイランドで入手した黒シャツとインディゴブルーのジーンズに着替えると、彼はようやく落ち着いた心境になる。ちなみに、ついでなのでそれらの衣類は検査中に病院内の施設でクリーニングに出していた。現状ではこれが彼にとって一張羅なので、そう言った気を回している。 丸一日メディカルセンターの世話になっている間に、昨日のうちに行った検査の詳細結果も明らかになっている。それは時間が解決したのもあるが、波留の検査が現在のメディカルセンターで最重要視されていたおかげでもあった。 今日行った検査の結果は後日と言う事になるが、とりあえず現在判っているだけの結果を見る限り、波留に異常は見当たらなかった。若返りそのものの原因は医学的には謎のままとなったが、少なくともその肉体は30代のものであり健康そのものだった。 懸案の未電脳化状態については、現在のメタルに対応したナノマシンが綺麗さっぱり消失していた。その代わりに、相当に古いナノマシンが彼の脳内に残されているのを発見する。波留が「50年前の原初のメタルに対応したナノマシンを投与された経験がある」旨を担当スタッフに告げると、納得された。おそらくそのナノマシンが残っているのだと言う話で落ち着く。 メタルは現在に至るまで順次アップデートを繰り返している。その中で、対応するナノマシンもアップデートする必要が発生する。メタルから働き掛けてナノマシンのプログラムを書き換えて動作を変更させる事も出来るが、ハードウェアとしてのナノマシンそのものを入れ替える大掛かりな仕様変更も50年の歴史の中では稀にあった。 そのような仕様変更になると、以前のナノマシンは新仕様のメタルには非対応となる。世代が近接しているナノマシンでは影響を及ぼす可能性もあったが、50年前のメタルは現在のメタルとはかけ離れていた。その対応ナノマシンも、現行メタルには一切関係を持たない。だから現在の波留は、単にメタルに接続出来なくなっているだけの状態となっている。 結論から言うと、現行メタルに対応するための電脳化は可能だった。しかし波留の考えは変わらない。あくまでも電脳化を行うつもりはなかった。 彼の考えは電理研から既に申し送られていたらしい。検査終了後に彼が自分の意思をスタッフに伝えると、すぐにペーパーインターフェイスが用意されていた。新品の箱ごと彼に手渡される。 元々波留が所有していた人工島住民としてのアドレスの登録までをその場で済ませる。その他の使用方法は同梱されている説明書参照と言われるが、元々電脳化してメタルダイバーまでやっていた波留なのだから、メタルの使用方法は理解している。すぐに慣れるだろうとの事だった。 本来ならば、電理研は波留には更に接続バイザーも提供すべきだった。しかし現在の彼には定住地はなく、荷物になるものは持ちたくなかった。とりあえずペーパーインターフェイスさえあれば、メタルはある程度利用出来る。バイザーは、落ち着く先を見付けた頃に連絡して届けて貰う事とした。 全てが終わり、波留はスタッフ達に礼を言う。病院に世話になったと言うのにやけに疲れを感じた状態で、彼はペーパーインターフェイスを箱ごと紙製の手提げ袋に入れて持ち、メディカルセンターから出て行った。 |