ターミナルに接続している水上タクシー乗り場は、各方面に向けて数箇所存在している。人工島では水上バスでの交通網も発達しており、それを利用する人間も多いためにタクシーを利用する人間の列はそれ程多くは無い。列を作ってもそれはすぐに流れてゆく。 波留とホロンは電理研方面に伸びている水路の列の一員となっていた。それなりの荷物となっている木箱を抱えた女性と言う光景は、一般的には目立つものである。しかしここはターミナルに隣接した乗り場であり、そう言う一般人も居るかも知れなかった。 むしろ隣に男が立っているのに何故女性に荷物を持たせているのかと言う疑問が浮かびそうなものだったが、それもまた人工島に馴染みのある人間ならばすぐに掻き消える。その女性が公的アンドロイドであり、電理研の秘書としての制服を着ているからである。人間に仕える立場としては当然の行動だと認識されていた。 屋外に出た事もあり、乗り場には屋根が被さってはいるが太陽と水の香りが充分に漂っている。列の向こうに広がる水路には天井が無く、降り注ぐ陽光を照り返して光り輝いていた。乗り場の屋根の影で全身を覆われていた波留は、それをやけに眩しく感じる。 列は滞りなく進み、やがて波留とホロンが利用する番となる。後部座席に丁度ふたりが乗り込める大きさの、人工島水上タクシーとしてはポピュラーな形式に静かに乗り込む。ホロンは木箱を抱えていたが、それは彼女の膝の上に抱え込んで無事収める事が出来ていた。 前方の座席に座っている運転手は、木箱を抱える公的アンドロイドと、そんな女性を伴って乗り込んできた男と言う絵面に、半ば驚いたような表情を見せていた。しかしその女性が電理研所属を現す制服を纏っていた事や男が付き添っているのに荷物を抱えていた事、更に告げられた行き先が電理研地上部分への入口であった事などが、彼を納得させていた。 彼女の隣に座る黒い長髪の男は、電理研の制服などを着ていなくとも、電理研アンドロイドを伴っている事からそれなりの要人か関係者かと推測したのだろう。全くそんな風には見えない容貌や服装であったとしても。 無論、客の素性などを必要以上に詮索しないのが、現代のタクシードライバーの礼儀であり、それは「個人」を重んじる人工島においては特に顕著であった。それでもその推測はかなりの線で当たっているのだから、波留とホロンの関係は第三者からも非常に判り易く見えるのだろう。 水上交通においても、電理研への道程はポピュラーなものである。電理研とは人工島を支配する大企業だけあり、そこに様々な形で勤めている人間も多いからである。 基幹産業であるメタル関係の研究職は一握りであっても、それに関連する調査員やハードウェアの技術職、その他諸々の職が電理研に付随していた。現在の人工島において、単純作業はタイプ・ホロンに代表されるアンドロイド達に任されているが、それでも人間が携わらなければならない仕事はまだまだ大量に存在している。そんな彼らを輸送する手段を水上交通は担っている。 だから運転手は、波留の存在を特に珍しく思う事はなかった。言われた通りに電理研に向けて車体を発進させていた。 水上タクシーは水路の水面を滑るように走ってゆく。その穏やかな動きに、波留は座席に背中を深く預けた。先程の定期船の時同様に、車窓から外を眺め始める。 アイランドや海峡、人工島中央ターミナルと、彼は深海から復帰してから今まで、足を踏み入れた場所の風景をじっくりと眺めて来ていた。そして人工島の街中の様子も水路からではあるが確認してゆく。 そこに広がる光景は、今までの場所と同様に、平穏そのものだった。どうやらメタルと電力のダウンによる影響は本当に軽微であり、その被害からも回復しつつあるらしい。 あちこちに掲示されている広告はターミナル内部同様に、やはりメタルダウンに関する復旧進捗の報告が多い。しかし、それ以外にも他愛もない商業的な広告も目に付くようになっていた。それは彼が人工島を離れた時と殆ど変わらない光景である。 波留が眺める窓からは、太陽の光や水面からの照り返しが差し込んでくる。それを顔に当てつつも彼は外を見ていた。車内に、特に会話はない。 ふと、波留の瞳に細い光が弾くように飛び込んで来ていた。それは窓からではなく、車内である隣の方角からである。何かが窓からの光を反射しているような印象だった。しかし鏡のようなものはその方角には存在しないはずだと彼は思う。怪訝そうに、彼は視線で光の射す方を追った。 彼の隣には、ホロンが木箱を膝の上に乗せて座っている。彼女は自然な微笑を顔に湛えて前を見ているが、木箱に添えられるように置かれた左手首に、何か光を発するものがあった。 それは制服の袖口に隠れて良く見えないが、波留は隣から注視する。すると、何か金属めいたものがそこにあるのを目視する事が出来ていた。 「――…マスター。どうか致しましたか?」 波留の視線に気付いたらしい。ホロンが波留の方に顔を向ける。眼鏡の奥の瞳を細め、にこやかに訊いた。 「いや…」 ホロンの態度に、波留も微笑んだ。何となく気恥ずかしい気分になりつつも、彼は自らの左手を胸の前に持ち上げた。ホロンに手首を見せるような仕草を見せ、右手で黒いシャツの袖口の辺りを指し示した。 「――それ、どうしたんだい?」 「…ああ…――」 マスターたる波留の仕草に、ホロンは軽く頷いていた。彼が何を言わんとしているか、すぐに把握出来た様子だった。 |