朝日は水平線から完全に切り離され、蒼い空に浮かび上がっている。白い雲が帯状に空に走り、太陽からの光の反射を受けて複雑な色彩の陰影を作り出していた。その照り返しは紺碧の海にも届いている。
 アイランドと人工島とを分け隔てる海は広大である。そもそも上空から眺めたならば、広大な海の上に小さな天然島と人工島が浮かんでいる構図になるはずだった。
 そのふたつの島の間を、ひとつの点が動いてゆく。それが通り過ぎた後の海には白い線が残され、それも徐々に消えて行っていた。大海原に打ち寄せる波は穏やかであり、その波間を掻き分けてその船はアイランドから人工島へ向かって直進する。
 その定期船の乗客として、波留真理は船内の客室に居た。彼はチケットによって指定された座席に収まり、シートベルトでその身体を固定している。
 人工島とアイランドとを結ぶ定期船は、ジェットフォイル式の船舶である。やはり人間を乗せての定期便である以上、輸送容量よりも速度を優先するのが当然であった。貨物船はまた別に存在し、急ぎではない品物にはそちらの選択肢もある。
 ジェットフォイルは速度を高いままに保って運航されるが、そのためにそれなりに揺れる。その技術面は、2061年の現代においても前世紀とさほど変わっていなかった。振動を押さえる工夫がなされても、船の原理が変更されない以上、他の船よりは揺れるものである。
 だから座席は全席指定の上、原則的にシートベルトも着用義務がある。それでも今日の海は凪いでいるために、揺れは大人しかった。それでも普通の船よりは揺れてはいるが、体調の変化を訴える人間は、現状において存在していない様子である。
 波留は船の後方に位置する、右端の窓際の席を確保していた。窓枠の桟に片肘をつき、頬杖を突いて窓の外を眺めている。
 正確に言えばこの席を彼に与えたのは電理研である。一般常識としても窓際の席が好まれるものではあるが、彼の場合は別の意味で窓際の席を好んでいた。窓の外の眺めやたまに窓に当たる水飛沫、外壁から微かに感じ取れる振動など、出来る限り海を近くに感じていられる気がするからだ。だから、今日もこの窓際の席に座る事が出来て、彼は嬉しかった。
 ――もしかしたら自分の事情をそこまで理解した上で、電理研はこの席を用意してくれたのだろうか。彼はそう考える。彼は電理研とは日頃から縁があり、今回の席の確保を依頼したのも彼の馴染みの相手である蒼井衛だったのだから。
 彼が眺める窓からは、船底が切り裂く海面が飛沫となって白い波を発生させているのが見て取れる。その先を見通すと、人工島がくっきりと見え始めていた。小さな点であった存在が30分もしないうちに見る見る近付いてきており、今となっては細かい風景までもが段々と判別出来る状態となっていた。
 そうしていると、電子音と共に、客室座席の前面の壁に設置されていた大きなスクリーンに、女性ガイドの姿が映し出される。今まではスクリーンにはメディアのニュース動画が流れていたが、そこに割り込んできていた。
 波留は電子音に注意を惹かれ、スクリーンを見やる。しかし殆どの乗客はスクリーンを見ていなかった。彼らは自分の電脳を用いて様々な作業を行っていたからだ。
 この船はアイランドから距離を取り、その天然島に打ち立てられていた電脳障壁の影響下からは既に逃れている。そのため、今はメタルへの接続は、人工島同様に自由であった。
 未だ人工島には辿り着いてはいないが、人工島周辺海域には人工島本土同様に通信分子が散布されているからである。それは人工島の運営において、リアルの海で行われる業務も多く、その業務に携わる人々の補助としてもメタルが使用されていた。人工島とは、建築当初からメタルを主軸にして設計されている島である。
 そんな状況のため、この船の乗客の殆ども人工島同様にメタルに接続してそれぞれに楽しんでいた。そこにも女性ガイドの映像が割り込んでくる。それは注意喚起のためなのだから、やむを得ない行為だった。
 ――これより、人工島中央ターミナル着岸へのアプローチに入ります。急減速や急加速、減速に伴う着水による衝撃、急に進路を変更する恐れなどがございますので、シートベルトの装着を今一度御確認下さい…。
 穏やかな笑みを浮かべた女性ガイドはまずそのような注意事項を述べる。更に細々とした指示が続いてゆくが、まず乗客は彼女の言葉に従い自らのシートベルトを確認していた。安定走行中にベルトを外してしまっていた人は、改めて装着し直す。
 スクリーンから流れてくる女性ガイドの言葉を聞き流しつつ、波留は再び窓の外を見やった。視界に映る人工島の風景が段々と鮮やかになってゆくのを見守る。思わず、目を細める自分を意識した。
 その先にガラス張りの立派な建築物が現れてくる。それが人工島中央ターミナルだった。人工島建築物の主流である、壁面にガラス状の素材を生かした上での青を基調としたカラーリングである。
 南アジアの外洋に浮かぶ人工島には港湾施設がいくつか備わっているが、大抵の旅客船はこの中央ターミナルにて発着している。今到着しようとしているこのアイランドとを結ぶ路線も、その御多分に漏れない。
 彼らのジェットフォイルは港へのアプローチに入り、弧を描くように航路を進めてゆく。そのうちに徐々に減速が始まり、乗客達は座席やベルトに軽く身体が押し付けられていた。
 窓際の波留には、ジェットフォイルのエンジン音や波を切り裂く水音の他にも、ターミナルからの場外放送が漏れ届くようになってきていた。窓から見えるターミナルの港には、他の大型フェリーなどが停泊している。彼らの船は中型であり、停泊している船の合間を縫うように誘導されてゆく。
 波止場には港湾の職員が立っていて、入港してきたジェットフォイルに対して指示を送っている。メタルが定着し生活の一部となっている人工島においても、港湾では50年前の技術を知る波留にも理解出来るような伝統の手旗信号が用いられていた。無論メタルを用いた電通なども併用されてはいるのだろうが、昔から使用されている技術は廃れていない様子である。
 信号手が作業をする合間を、手押し車で荷物を運ぶ職員が通り抜けてゆく。その一方で、停泊している船から荷物を降ろす船員や職員の姿がある。様々な制服に身を包んだ人間があちこちでそれぞれに仕事を行っており、活気ある風景がそこにあった。
 
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