4人の食事は和やかに終了していた。 今日一杯は暇な身分である波留はともかくとして、実習生である少女達はあまりのんびりとした時間を過ごす訳にはいかなかった。彼女らがそれぞれに担当している患者達は一旦各自の病室に落ち着いてはいるが、彼らは生活の中で介助実習生を頼らなければならない事もある。その際には、実習生とは随時呼び出される身分だった。 アイランドは電通は出来ない場所ではあるが、前世紀などのようにコールサインのみに特化した小型の携帯装置を介助担当者達は持ち歩いていた。この施設に居る限り、要介助者のために働くのが使命となっている。 それらの仕事の他にも、実習生なのだから自分達の活動レポートを連日纏めておく必要がある。明日の準備もしておかなくてはならない。中学生とは言え、やる事は大人のようにたくさんあった。 「――波留さん。サヤカ達が変な事ばっかり言って、すいません」 ミナモと波留は各自のトレイを持ち、食堂の返却口に向かっていた。ふたりは並んでそれなりに人が存在する食堂の通路の隙間を縫って歩いてゆく。 この食堂では、各自がトレイを持って食堂担当の職員から食事を受け渡して貰う形式となっている。そしてその片付けもセルフサービスである。自分で使用済みの食器類を、配置された返却口まで持ってゆく必要があった。本当に学食めいた感がある。 「いえ、楽しかったですよ。普段のミナモさんの事もたくさん教えて頂きましたし」 波留はミナモにそう言って微笑みかけると、ミナモは少し眉を寄せてきた。照れたように顔を赤らめつつも、若干口を尖らせる。 「サヤカ達ってば、本当に変な事ばっかり言ってもう…」 「でも、全て本当の事なのでしょう?」 見透かしたように笑う波留に、ミナモはますます顔を紅潮させた。口の中で何かを言いつつ、顔を背ける。トレイの上に重ねて置かれていた食器類が微かに音を立てた。 そんな彼女を微笑んで見やりつつ、波留は目の前の返却口に自らのトレイを置いた。そこには他にも何組かの食器が返却されている。向こう側の配膳スペースでは食堂担当の職員が忙しく動き回っているが、そのうちにこれらも片付けられてゆくのだろう。それは波留にとっては大学時代や社会人時代を思い起こさせるような、懐かしい光景だった。 ミナモは彼のそんな様子を背後から見ていた。彼女の手の中にはまだトレイがある。それを持ったまま、波留の後ろに並んでいた。 「――波留さん」 「何でしょう」 それは、何気ないやり取りだった。いつものようにミナモが波留に呼びかけ、波留もそれに応じる。 今の波留は目の前の返却口に気を取られていたためにミナモの方を振り返る事はしていなかった。それでも普段のように暢気そうな声を返している。 そこにミナモは声を投げ掛けた。それはいつものような明るい少女の口調であるようでいて、何処となく僅かな決意を滲ませるようなものでもあった。 「…久島さんには、会えましたか?」 波留は、自らに投げ付けられたその言葉に、一瞬動きを止めた。開きかけた口を噛み締めるように閉じる。返却口に返したトレイから手をゆっくりと離してゆく。 「――…ええ」 結局彼は振り向く事はしない。只、肯定しただけだった。 ふと、波留は右手を胸の前まで持ってゆく。そこに拳を作り出し、彼は視線を落とした。じっと見つめながらも口許に懐かしむような笑みを浮かべる。目を細め、笑っていた。 しかしそれを背後から見ているミナモには、まるで彼が何やら寂しげに笑っているような気もしていた。それが果たして正しいのか、何故そう感じてしまうのか。心に引っ掛かりを覚えている。 それを解消するために、彼女は薄く口を開く。何かを言い掛けた。 「――明日の朝一の定期船で、人工島に戻ります」 しかしミナモは、波留のその言葉によって、自らの口から台詞を放つのを遮られた。それは絶妙なタイミングだった。波留はミナモの方を相変わらず振り向いていない。彼女の顔を見やる事無く見切ったように発言したのだから、故意か偶然かは図る事は出来ない。 ともかくミナモは発言の機会を逸した。だからそれを言うのを止めた。彼女は波留の言葉に、微笑んで頷いた。 「はい」 そんな彼女の短くも明るい声に、波留は振り返った。にっこりと笑い、ゆっくりと拳を解いた。彼女にその手を差し出す。 「またいずれ会いましょう」 ミナモは少しきょとんとし、その手に視線を落とした。大きな青年の手を眺める。 しかしすぐに彼女の顔に微笑が復旧する。――今度は、また会えるんですね。約束してくれるんですね。そんな想いが彼女の脳裏に去来する。が、やはり彼女はそれを口には出さなかった。嬉しい想いを顔に出すばかりにしておく。 「はい!」 勢い込んで彼女は大きく頷いていた。長い褐色の髪とそこに留められている大きなリボンとが、それに合わせて揺れる。彼女が持っていたトレイの中で食器類が音を立てた。慌てた風に彼女は、それらを返却口に突っ込む。 そして彼女も手を伸ばし、波留のその手を握るように重ねる。それに対し、波留もミナモに視線を合わせて頷いた。彼の顔にも笑みが浮かんだままだった。 ふたりはそうやって握手をしていた。互いの体温と肌の感触を伝え合う。今までは皺が寄った骨ばった老人の手だったが、今は若者の張りのある手がそこに感じられる。そしてミナモは、その手をこれからも感じる事が出来るようにと願っていた。 そこが彼女にとって、2日前のランチの時とは違う点であり、それこそが全く重要な一点だった。 |