波留と衛とが通信に費やした時間は5分程度であると、通話が終了した画面の片隅に表示されていた。
 客観的には必ずしも長い時間とは言えないが、待たされている人間の主観的にはそこそこの長さとして感じられるものである。波留の背後の人間からは若干の苛立たしいような雰囲気が伝わってきていた。それでも一般的な通話時間には違いない。波留は後ろに対して軽く頭を下げ、端末の前から離れた。
 彼は適度な長さを保ったままとなっている列から離れ、ふと壁に設置されている時計に視線が行った。そこに示されている時刻から、そろそろミナモ達との約束の時間である事に気付く。5分程度の通話のために、どうやら1時間は待たされたようだった。予想以上に時間を潰したらしい。
 廊下には相変わらずの人通りが存在していた。それでも、病院服を纏った人間の割合は減ってきているように思えた。患者達にとってはそろそろ休息の時間を迎えつつあるらしい。
 波留はその中を自らの足で歩き、食堂へと向かっていた。この施設の間取りは彼の記憶の中に残っていて、迷う事はない。それでも何処となく印象が違う。おそらく、視点があの頃とはかなり違うからだろうと彼は踏む。あの頃は車椅子であり、今は立って歩いているのだから。
 彼が足を踏み入れた食堂では、腕に腕章をつけた学生らしき姿が目立っていた。患者達の食事の時間は終わり、次は彼らの出番のようである。
 患者ひとりにつき介助担当もひとりがつく恵まれた施設だけあって、彼らの人数も多い。学生である実習生がたくさんいる様は、まるで学食だった。
「――あ、波留さん!」
 奥のテーブルの並びから、少女の声で自らの名を呼ばれるのを訊いた。その方を向くと、ショートカットの茶髪の少女が手を振っている。彼女もまた、すっかり馴染みとなってしまっていた。波留は微笑みながら、彼女の方へと歩いて行った。
「もう食事は貰っておきましたよ」
「ありがとうございます」
 そのサヤカが自分達のテーブルを指し示すと、トレイに配膳された食事が4つ揃っている。彼女の隣では、黒髪ポニーテールの少女も既に席に着いていた。少しふくよかな少女は満面の笑顔で波留を見上げ、頷いてみせる。
 波留はそのふたりに軽く挨拶をしつつ、サヤカに示された席に着いた。彼女らと向かい合う形となり、その彼の隣にはまた1食分の食事が準備されていた。しかしそこに人の気配はない。波留はそれを一瞥した後に、サヤカに向き直って訊く。
「ミナモさんはいかがなさいましたか?」
「担当しているおばあさんのお世話が終わってから来るそうです」
「それはお忙しい事です…」
「メタル復旧で連絡取りたい人は、その分予定が押しちゃってるらしいですよ」
 サヤカの説明に波留は頷いた。それは彼がつい先程その身で体験してきた事例だった。あれに巻き込まれているとするならば、大変な事だろうと彼は思う。
「――それより波留さん、いいですか?」
 そう言ってサヤカは笑って掌を波留に突き出してきた。女子中学生の掌を、彼はまじまじと見詰める。
「折角ですし、アドレス貰えませんか?」
 それはメタルが普及している人工島の住民としては、有り触れた行動だった。掌を重ね合わせる事で、電脳化している人間は自らのデータをやり取り出来る。自己紹介の一種であり、自らの電脳のアドレスを教える事で互いの電通も可能になる。そんなやり取りを人工島住民は一般的に行っていた。
 波留は、サヤカの顔を差し出された掌とを交互に見ていた。しかし自らの手を挙げる事はない。
 だからサヤカはやはり駄目なのかと判断していた。気軽に話せていたとは言え、今日会ったばかりの相手とアドレス交換をするような人間ではなかったのかもしれない。何せ今の彼女にとっても波留の中身は老人であると言う認識であり、老人と言えばお堅いイメージであったのだから。
「…いや、無理なら仕方ないんですけど」
 僅かに笑顔を強張らせつつもサヤカはそんな事を言った。ゆっくりと手を下ろす。波留はそんな彼女に対して、慌てた風な態度になった。胸に手を当て、首を横に振る。
「いえ、お気を悪くなさらないで下さい」
「私が図々しいだけですよー」
「そうではなくてですね――」
 ふたりがそんな会話をしていた頃、それを眺めていたユキノの視線が唐突に上に向く。そして彼女の口から、暢気そうな響きである名前が発せられていた。
「――ミナモちゃん」
「波留さん、お待たせしました!」
 元気な声がユキノの声に被さる。その声に波留は見上げ、そしてそこに居る少女に対して軽く会釈した。
「お仕事はもういいのですか?」
「はい、とりあえずは」
 ミナモは波留に頷きつつ、食事が用意されていてかつ人が据わっていなかった唯一の席に着く。その席が都合よく波留の隣となっていたのは、サヤカ達の誘導であったのかは謎であった。
 
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