そこでは、海の蒼の他にも、赤や様々な色が輝き漂っていた。しかしそれらは暴力的な色合いでもなく、見ている彼の目をちらつかせ疲れさせる事もなかった。海の蒼が全てを飲み込んでいる印象を与えている。 彼の目の前には、若かりし頃の容貌をした親友が立っていた。元々全身義体化をしてまで実年齢が刻んでゆく老いに逆行した姿を保っていた人間ではあった。 しかし、今ここでは、更に若い姿となっている。確か、自分達が出会った頃はこんな姿だったと、彼は思い返していた。彼自身には自覚はなかったが、実は自らも容貌が通常のメタル時よりも更に若返っていた。互いに気持ちがそう言う次元に至っているから成せる状態だった。 ふたりがこの場で交わした会話は、それ程懐かしい話でもなかった。親友の意識はメタルに溶けて消え去った以上、再会などあり得ないはずだった。しかし望外の再会を果たしたとは言え、世間話をしている場合でもなかったし、その必要性を感じなかった。 実質的には地球を救う方法は、既に魔女を介して伝え聞いていた。だから彼は親友そのものと再会する必要はなかったのかもしれない。 しかし、彼は自分達が知りたかった事実をまだ得てはいなかった。50年前から追い求めていた答えこそが、彼にとっては親友から受け取るべきものだった。 だから彼は危険を冒して親友を追った。先に旅立っていた親友から、全ての答えを受け取るために。言ってしまえば、自らの探究心を満たすだけの、自己満足に過ぎない行為だった。しかしそれこそが彼の原点である。 そして答えを知った今、自らもこの場に残る道を選ぼうとしていた。そうするべきだと信じていた。 ――お前が居れば、私も嬉しい。 そんな言葉と共に笑顔を寄越してくれた若かりし親友は、その50年以上前からの共通した仕草として、彼に対して拳を突き出してきた。それは、仕事上でもプライベートでも、何かが上手く行った際に決まって交わしていたふたりにとっては挨拶めいた符号であり、仕草だった。 そして彼としても、それに応じるつもりだった。それが彼にとっては日常であったから。 しかし、何故か躊躇っていた。 意思に身体がついて行っていなかった。この世界は海の深層であり、そこでの姿は意識体と言うべき存在だろう。だとすれば、その身体は意識の力が現れるはずだった。その深層意識が、親友の申し出を拒もうとしていたのだろうか?――彼は後でそう思い起こす事となる。 それでも、結果的に彼は手を突き出していた。深層意識がその方向で納得したのか、それとも表層が捻じ伏せたのか。彼自身にもその行動原理は理解出来ていない。 が、その時には、親友は微笑んで拳を引いていた。全てに対して納得したような安らかな表情だった。 海に潜れば、何時でも会える。 親友は彼に静かにそう告げた。そして彼に対して水の力を受け渡し、その時には親友の身体は泡に包まれてゆき――。 凪いでいたはずの深層に、突然潮流が巻き起こった。その潮の流れが泡を巻き込んでゆく。流れに煽られ、その先の視界が遮られてゆく。 彼は思わず腕を伸ばす。懸命に伸ばしたが、親友には届かない。泡が弾ける感触が肌に伝わる。しかし、伝わってくるのはそれだけだった。その先にある何かを掴もうと、彼は手を広げ、閉じた。しかしそれはそこにある水を掻いただけだった。それ以外の何も掴めない。 水流と弾ける泡に覆われた視界の向こうでは、親友の身体が泡となり消え去りつつあった。耳元では切り裂くような水の音が突き抜けてゆく。 「――…波留」 それらに紛れて、彼は確かにその声を聴いた。覚束無い視界の向こうでは、親友が泣き笑いのような表情を浮かべていたような気がした。しかしそれらも後々確認しようがない事だった。 水の力が完全に行く手を遮る。彼が気付いた時には、ダイブギアごとリアルの超深海から大きく吹き飛ばされていた。 |