「――あんた、お客さん?」
 そんな時、波留は不意に奥からそんな風に呼びかけられていた。怪訝そうな声である。
 波留は声がした方を見やる。店舗の奥まった辺り、従業員が詰めているとおぼしき部屋へと続くだろう通路から抜けてきた所に、男性が立っていた。彼はこの店に並んでいるような服を纏ってラフな格好をしている。その服装と顔立ちを総合した見た目からは、現在の波留よりも更に若い印象を与えた。
「あなたが店員さんですか?」
 疑問符を浮かべたその彼に対して敵意がない事を現すかのように、波留は微笑を浮かべてそう訊く。言外に「自分は客である」事を匂わせておいた。
「店員って言うか、店長。俺独りでやってる店だから」
「そうですか…」
 店長を名乗る彼の口調からは、波留が滲ませた内容を理解しているのかどうかは悟る事が出来ない。ともかくぶっきらぼうな口調の若者店長の態度に、波留は苦笑した。客商売にしてはあまり宜しくない態度だったが、彼には悪い気分はしなかった。
「営業しているのですよね?」
「ま、一応。やる事ないし」
 波留がジーンズを片手に持ちつつ店長に訊くと、相変わらずの口調で答えが返ってくる。それに対しても波留は微笑んで続けた。
「見せて頂いてもいいですか?」
「別に構わないけど、買うの?」
「出来れば」
「でも決済出来ないじゃん。人工島外の金でも持ってんの?」
 店長は腕を組み、首を捻ってそう言った。確かに今はそう言う状況である。彼が言うように人工島外で流通しているリアルの貨幣を用いたならば、後々換金する事も可能だろう。
 しかし波留は首を横に振る。当たり前であるが、そんなものは持ち合わせていない。だから代替案を持ちかける。
「ですから、僕の住民コードを口座番号をメモを残していきましょうか」
「そんなもん、よく覚えてるなーあんた」
 その申し出は、先程介助施設の事務員とのやり取りの亜流だった。そう言い出された店長は、腕を組んだまま、感心したかのような声を上げる。確かに十数桁の住民コードを生脳に記憶している人間は、メタルが発達している人工島の住民の中ではかなりの少数派だろう。
 しかし、そんな言動を継続したまま、彼はこんな事を言う。
「――で、それが間違ってたり、嘘だったりしたら、俺が丸被り?」
 その台詞には波留は苦笑する他無かった。この店長の危惧は頷ける話だった。偶然であっても故意であっても、誤ったコードや口座番号を伝えていては、後の決済が不可能になる。そうなっては経営者としては赤字を出す事になってしまうのだ。
 とすると、どうしたものか。メタルが復旧するまでこの辺りをふらついて時間を潰して、復旧後に買い物をすべきだろうか。しかしそうなると、信用していない人間が周辺を歩き回っていると言う事態が別の意味で不愉快に思われるのではないだろうか――波留はそんな事を考えた。
 顎に手を当てて考え込んでいる波留の横顔を、青年店長は腕を組んだまま見やっていた。
 しかし不意にその腕を解く。右腕を挙げ、頭に手をやった。髪をぐしゃぐしゃにするように掻き上げる。
「――ま、それでいいよ。適当に選んで買ってってよ」
 溜息をつきつつ暢気そうな声で彼がそう言ったのに、波留は意外そうな視線を向ける。
「…いいのですか?」
「その制服、あっちの介助施設のだろ?何かあったらそっちに殴り込むさ」
 そう言いつつ、にやりと笑って彼は指で波留を指す。それもまた現実的な解決方法であるように思われる。が、波留はその台詞を訊いた時、自らの胸に片手を当てた。そこに視線を落とす。白基調の介助士としての制服の上に、確認するように掌を滑らせた。
 そして波留は顔を上げた。苦笑いを作り出す。
「実は、僕はこの服も借りている立場でして」
「…は?」
 店長は口をぽかんと開けた。短い声しか発する事が出来ない。そこに苦笑を浮かべた波留の説明が続く。
「メタルが復旧した後に、電理研に問い合わせて頂くのが確実かと…」
「――電理研かよ!大きく出たな!」
 店長は呆れたような叫びを上げていた。確かにその組織名は騙るには恐れ多い存在だった。
 彼は大きく肩を揺らして息をつく。両手を広げる。気を取り直したかのような態度を見せ、言った。
「…まあ、それは決済出来なかった場合に考えるって事で」
「――僕を信用してくれるのですか?」
 話の流れからして、店長が発したのは波留にとって意外な台詞だった。だから胸に手を当てて尋ねる。
 それに対して店長は肩を竦めて見せた。瞼を伏せて両手を揺らす。
「まあ、昨日の今日で変な嘘つく奴なんか居ないって、信じたくはあるしな」
「…そうですか」
 その台詞に、波留の口許から笑みが消えた。少し考え込むような表情になり、俯き加減になった。
 
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