早朝の海は相変わらず穏やかにさざめいている。
 そんな中、海の浅瀬から上がって来たふたりの身体からは、海水がぽたぽたと垂れ落ちてきている。最大水位の頃には腰まで海に浸かっていたし、制服の少女の方はそこに至るまでに海を懸命に掻き分け飛沫を身体一杯に浴びていた。そしてダイバースーツの男性の方も全身を濡らしており、長い黒髪を海水が伝って落ちる。
 彼らが立つ砂浜の周辺には、垂れ落ちた海水が染み込んでゆく。海から歩いて来て砂浜に穿たれたふたりの足跡は、徐々に波に攫われて行っていた。並ぶ二種類の大きさの違う足跡が薄れてゆく。
 波打ち際に立つずぶ濡れのふたりの並びを、神子元サヤカは興味津々と言った雰囲気で見ていた。彼女の後ろにはクラスメイトの伊東ユキノが控えている。ユキノはサヤカの更に後ろから、同じような表情を浮かべてふたりを覗き込んでいた。
 何せ、つい先程まで、海に腰まで浸かる水位の辺りにて抱き合っていたふたりである。一体何がどうなってそんな事になっていたのか。眠っていた彼女達には全く想像がつかない事態だった。弾けた水音によってうたた寝から目覚めさせられたと思ったら、そんな現場を目の当たりにしていたのだから。
 サヤカ達にとっては親友である同級生の15歳の少女は、頭ひとつ高い身長の男性の顔を、気恥ずかしいような顔をして見上げている。その蒼井ミナモは制服を濡らしており、白い布地が身体に張り付いてきていた。
 その相手役と言うべき男性は、黒い長髪を後ろで纏めて結んでいた。その上で全身にダイバースーツで覆っている。周辺を海に囲まれており水路が重要な交通手段である人工島に住む人間にとって、彼のようなダイバーの存在は見慣れたものである。
 しかしサヤカは、彼はこんな早朝から一体何をしていたのかと思ってしまう。確かに昨晩は大変な出来事が海から発生し襲来して来たのだ。そのために、それが収まったこの朝から海洋調査でもしているのだろうか。そんな推測に至る。
 ――にしては、何故ミナモと一緒に居て、しかもあんなに嬉しそうに抱き合っていたのだろう――?
「――ミナモちゃん。着替え、あるよね?着替えた方がいいんじゃない?」
 そんな時、サヤカの後ろからユキノがそんな台詞を投げ掛けてきた。それにサヤカは思惟を中断され、友人に振り向いた。振り向いた背中に、今度は今まで相対していたミナモの声が届く。
「…あ、うん。実習始まる前に、そうした方がいいよね」
「その前に朝ごはんがあるけどね」
 ミナモが気付いたように自分の制服を見て言った言葉に、ユキノはのんびりとした口調であまり関係のないような答えを返す。それはユキノらしい台詞だと、少なくともふたりの中学生は感じていた。
「――じゃあ、着替えてくるね」
 ミナモはユキノとサヤカの顔を交互に見やってからそう告げた。そして隣に立つ男を見上げる。そんな彼女に、彼は目を細めて微笑んだ。その顔に海水が伝う。
「どうぞ。風邪をお召しになってはいけませんから、早く行って下さい」
「はい」
 穏やかな男の言葉に、ミナモは強く頷いた。彼に対して大きく頭を下げ、それから踵を返す。砂浜を蹴り、そこに含まれていた海水をも軽く跳ね上げた。
 そのまま小走りに砂浜の先の陸地へと向かう。固い地面の向こうにある建物へ走っていった。彼女の髪が揺れ、潮の香りを撒き散らしてゆく。
 
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