夏の早朝の海面はさざめいていた。
 明るい太陽の光が水面に照り返し水を弾いて煌く。波は穏やかに寄せては返し、海面に光の文様を生み出していた。
 昨晩7月29日の夕方頃より、世界は人為的に停電の道を選択した。それに伴い人工島の根幹を成すメタリアル・ネットワークも全停止していた。電力の供給が失われたからである。
 その影響はこのアイランドも多大に受けている。元々メタルに接続出来ない設定にされているこの島において、不便さはそれ程変わらないが、それでも掌を合わせての近接電通すら不能になってしまった事は人間達の不安を巻き起こすのには充分だった。
 それでもパニックは起こらなかった。人と人とは触れ合うだけで安心出来る。彼らはその事実を再認識したからである。そのために、この島はそれなりに平穏な暗闇の夜を明かしていた。
 通信が不可能なために現在も人工島とも隔絶した状況にあるが、海の向こうに視認出来る大きな島は見た目上は普段と変化していない。海を見つめる人々はそう思っていた事だろう。
 静かな夜明けを迎え、それを見送った蒼井ミナモは、アイランドの砂浜に立っていた。彼女の足元は波打ち際になっていて、靴の爪先の辺りまで波が打ち寄せている。砂に海水が染み込み、跡をつけていた。
 ミナモが立つ位置に平行するように、桟橋が海に向かって突き出している。その上ではふたりの少女が背中合わせに寄り添い座り込んだまま眠っていた。彼女らはミナモ同様に人工島中学校の制服を纏っており、ミナモのクラスメイトであり親友だった。そんな彼女らにも太陽の光は降り注いでいる。ミナモは隣に位置するその桟橋に顔を向け、少し笑った。
 漣の音が静かにその海岸に響き渡る。ミナモは前に向き直った。爽やかな風が彼女の耳元を吹き抜けていった。風が彼女の髪をふんわりと掻き分け、そよいでゆく。
 ふと、ミナモは、何かに気付いたように海の向こうに視線をやった。顔を上げるように更に向こうを見通そうとする。
 そこにあるものが一体何なのか。彼女がそれを認識した途端、表情が一変した。
 ミナモの頬が一気に紅潮する。一瞬見開かれ、ついで細められた瞳の目許が潤む。そしてその顔に、満面の笑みが浮かんだ。
 波の音は相変わらず穏やかだった。しかし、ミナモはその凪いだ海面を大股に蹴り付け掻き分け、沖の方へ向かって走ってゆく。彼女の動きと共に大きな水音が立ち、飛沫が飛び交う。潮の香りが強く立ち込めた。
 腰の辺りまでに水位が来ると、流石に快活なミナモであってもその海水に足を取られ、つんのめる。上体が海面に突っ込みかけるが、何とか走る勢いを維持したまま堪え切った。それでもしぶいた海水が彼女の制服を満遍なく濡らす。
 それでもミナモは前を見据えたままだった。決して沖から視線を外さない。そこに居る人物を視界に入れたまま、懸命に進んでゆく。水圧を感じるようになってきたために、もう走ると言う状況ではなくなっていた。
 ミナモの周りでは水を掻き分ける音が響き渡っている。そして彼女の元に、また別の音が届いて来ていた。彼女の視界の向こうに居る人物もまた、海水を掻き分けてミナモの元へと歩いて来ていたからだった。
 彼の方はミナモとは逆に深い位置から歩いている格好になっているが、ミナモよりも上背があるからか、彼女とスピードは殆ど変わらない。ふたりはどんどん近付いてゆく。



 ――ばしゃんと大きな水音が耳元に届き、桟橋の少女達は目を覚ましていた。座り込んだままであったが驚いたように飛び上がり、思わず互いに頭をぶつける。茶髪のショートカットの頭と、黒髪ロングの頭がかち合った。
 そのおかげで互いにさっと上体を曲げ、頭を抱えるように抑える。しかしその悶えもすぐに収まっていた。
「…はにゃ?」
「――何?」
 少女達は口々にそんな言葉を発し、水音が響いた方を見やった。
 彼女らが居る桟橋に沿った海辺の向こうに、彼女らが知る少女が居た。彼女は腰まで海水に浸かり、長い髪とそこにつけられたトレードマークの大きなリボンを揺らしている。
 そして、そこに居たのは彼女だけではなかった。
 少女達が「ウェットスーツ」と認識するような服装をした長身の男が、彼女の身体を抱き留めていた。
 その身長差からして、彼女にとっては彼の胸に飛び込むような格好になっている。しかしそのまましがみ付くように抱きついたまま、離れようとはしていなかった。男もまた、少女の背に腕を回してしっかりと抱き留めている。
 沖から海風が吹き上がり、男の纏め上げた黒い長髪と、リボンで留められた少女の長髪がなびいた。その向こうには早朝の太陽が煌いている。







第1話

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