波留は再びカップを取り上げ、口をつける。瞼を伏せ、別の話をした。
「ソウタ君は料理がお上手らしいですね。ミナモさんが自慢してらっしゃいましたよ」
「上手と言うか――毎日作っているだけです」
 ソウタはぶっきらぼうに答えていた。妹が自慢していると言うのは意外であり、それに戸惑った。しかしそれは波留の拡大解釈である可能性も高く、話半分に訊いておこうとソウタは思う。
 彼が料理を作る相手は家族だった。6歳の頃、妹が生まれた頃から、家族で食卓を囲むのが夢だった。
 しかし、未だにそれはまともに叶った事はない。妹が人工島にやってきたのがこの2ヶ月前。母親は仕事上の都合で人工島外で働いている。父親こそ人工島内の電理研で働いているものの、多忙でなかなか帰宅しない。兄妹が両親と顔を合わせる機会は、なかった。
 彼はそんな自分を不幸だとは思った事は、6歳の頃から一度もなかった。愛がないから両親が不在がちな訳ではないのだから。只、都合が合わないだけなのだ。
 しかし、何処となく寂しいのは、否定しない。だから、せめて妹だけでもと、考えている。そう思い、彼は自宅で料理を作り続けている。
「料理が作れると言う事は、大きな財産だと思いますよ。人間にとって根源的な部分を埋める事が出来るのですから」
 ――波留さんが語っている台詞はあくまでも一般論であり、俺の事情を量った上の台詞ではないだろう。ソウタはそう感じる。彼からは、その「根源的な部分」が、もう欠けてしまっているのだから。
 そう言えば、いつからだったろう。彼が俺の事を「蒼井さん」ではなく「ソウタ君」と呼ぶようになったのは。
 何故、そう変化したのだろうか。
 俺も、ミナモと同様に、彼にとっては家族なのだろうか。
 そう――家族。
 ミナモと彼はいつしか、「ただいま」「おかえり」と挨拶をするようになってしまっていた。赤の他人だと言うのに、まるで家族のような挨拶を。俺はその事実に衝撃を受けたものだが、このふたりは、何の衒いもなく他人を「家族」としてカウントしてしまったのだろうか。
 ソウタは自分の手元を見た。乳白色が混ざっているが若干の赤味を帯びた液体が、カップにまだ少し残っている。しかし彼はそれに手をつける気がしない。
「――…波留さん」
「はい?」
 ソウタは俯き加減に名を呼び、波留はそれに微笑んで促した。ソウタは顔を上げないまま、言葉を続ける。
「僕の料理、食べてみたいですか?」
 その台詞に、波留は目を細め、笑った。しかし彼は、言葉を用いて何かを答える事はしなかった。
 ソウタは顔を上げ、そんな彼の表情を見やっている。老人の顔に浮かんでいるものは肯定なのか否定なのか、彼には把握しかねた。

[next][back]

[RD top] [SITE top]