「――ソウタ君は、ミナモさんの事だけではなく、僕の事まで気遣って下さるのですね」
 波留はソウタに笑顔を返した。彼の穏やかな態度は変わらない。カップをソーサーに戻し、そのままテーブルに置く。
 何時の間にかに、そのカップの中は空になっていた。僅かに粉状になっていた茶葉が底に残されている。彼はカップ一式をテーブルの脇にずらして、自らの前からどけた。
「それは――僕としても、気になりますから」
 ソウタは少し口篭るが、しかし、当たり障りない言葉を続けていた。彼は料理の事となると、少々気になってしまう。それが知り合いの話となると、特に。
 と、彼は不意に隣に人の気配を感じる。横目で見ると、ホロンがやって来ていた。流石は介助用アンドロイドと言うべきか、彼は今まで彼女の気配を悟っていなかった。彼女のような存在は、人間に必要とされていない時には気配を消す事が出来る。
 ホロンの手には陶器のポットがあった。蓋の隙間からは湯気を漂わせ、同時に香気をほのかに感じさせる。その香りは今までの紅茶とは若干異なっている。別の茶葉にしたらしい。
 彼女は静かな仕草で、空になっていた波留のカップに赤い液体を注いだ。こぽこぽと心地良い音が静かな室内に響く。
 そして彼女はポットを持ち上げて液体を途切れさせ、ソウタに目配せする。彼女の意を汲んだソウタは、しかし右手を出して見せて横に振る。彼はまだ飲み掛けであり、ミルクティーであるために注ぎ足す必要は感じなかった。そもそも別の紅茶とブレンドする趣味もない。
 ホロンはソウタに軽く会釈し、ポットを両手で支えるようにして再び応接間から去ってゆく。ソウタはその背中を見送っていた。
 そこに、波留の台詞が聴こえてくる。
「…まあ、そうですね。いい機会だからお話ししておきましょうか」
 静かで落ち着いた口調に、ソウタは視線を向かいの席に戻した。波留は再びカップ一式を自分の前にずらす。今回はその上にレモンの輪切りを浮かべた。
 そして新しい紅茶が入ったカップを持ち上げ、顔の前に持ってくる。香りを確かめるように水面を傾けていた。
 そんな彼の様子をソウタはじっと見ている。老人が何かを言い出すのを待っていた。しかし彼は暢気に微笑み香りを楽しんだ挙句に、紅茶に口をつけていた。そして満足そうな表情を浮かべている。
 話を持ちかけた割に、どうにも暢気な態度である。ソウタは彼の態度に、少し眉を寄せた。
 その時、彼の耳に波留の声が届いた。
「食事してないんですよ。僕は」
「………は?」
 それを耳にしたソウタは、一言のみしか発せなかった。肩を揺らし、まじまじと波留を見つめてしまう。
 ――我ながら相当間抜けな顔をしているだろうと、彼は思っている。しかし、それ程までに彼の想像の範疇を超えていた台詞だった。
 波留はソウタの表情を見やって、少し笑った。顔に苦笑気味の成分を含ませたまま、カップとソーサーをテーブルに降ろす。
「水分以外では薬剤と――まあ、ゼリー程度ですよ。今の僕が口に出来るのは」
 そう言いつつ波留は視線を隣にやる。またしてもソウタが気付かないうちに、ホロンがそこに立っていた。
 彼女が手を差し出し、波留はその手にあるものを受け取る。それをそのままテーブルに置き、ソウタの前に見せた。それは掌サイズの透明なケースで、内部には様々な錠剤やカプセル剤が入っていた。
「この歳になると色々な薬を飲まなくてはならないものですが、実はここには栄養剤も混ざってまして。たまにこれを飲んでる姿をお見せしていたとしても、薬だけではないとはお気付きにならなかったでしょうが」
「…はい」
 ソウタは頷いた。確かに事務所に通い始めてから何度か、この手の薬を服用しているこの老人の姿を見掛けた事はあった。しかしその真実には全く気付いてはいなかった。おそらく自分以上に波留と一緒に居るはずのミナモも気付いていないだろうと彼は思っていた。
「頂くお茶にもあまり何も入れないようにしています。まあ、たまには砂糖や牛乳やレモン程度は少しだけ入れますが」
 彼らの脇から更にホロンが手を伸ばし、ゼリータイプの栄養補給剤をテーブルの上に並べて置く。
 波留はそれらを左手で指し示す。そして右手ではカップを再び取り上げた。浮かんだレモンは紅茶に染まりつつある。
「まあ、これはあまり他の方に見せたくないような、つまらない"食事"じゃないですか。だから今まで言わなかったんです」
 相変わらず波留は苦笑気味に笑っている。その口許をカップで隠した。

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