それから暫く会話が途切れる。
 ソウタはカップを傾けている波留を見ていた。彼は差し込んでくる柔らかな陽射しを受けている。白髪と白基調の服のため、妙に輝いて見えた。
 視界の向こうでは、ホロンが机上にデスクトップ端末イメージを表示させて何らかの事務作業を行っている様子だった。彼女の膝の上には猫が鎮座している。
 ソウタはカップを降ろした。テーブルの上にあるソーサーに戻す。波留を見据えて、再び語り始めた。
「――それとは別にですね。お尋ねしたい事があります」
「何でしょう?」
 波留も目の前の青年の台詞に顔を上げた。目を細めて促す。そしてソウタは軽く片手を胸の前で振り、訊いた。
「波留さん、食事はどうなさっているんですか?」
 ソウタの台詞に、波留はきょとんとした。カップを口から離し、ソウタをまじまじと見やる。
「失礼ですが冷蔵庫を拝見させて頂きました。中にあったのはミナモのものの他は、猫用か義体用ばかりじゃないですか」
 黒髪の青年は、先程見やった冷蔵庫と冷凍室の中身を思い返していた。そこには、いくら探しても、人間が口に出来る食材が圧倒的に少なかった。存在したにせよそれはお茶のためのものばかりであり、それらで食事を作製出来る環境ではなかったのだ。
 丁度食材を切らしてしまっていたと言う可能性もないではないが、この事務所には介助用アンドロイドが常駐している限りそれはあまりにあり得ない仮定である。人間が適当な指示を出す限り、アンドロイドはミスをしない存在なのだ。
 だから、彼としては、この結論に至るしかない。ソウタはそれを口に出した。
「まさか、毎食宅配にしてるんですか?」
 波留はソウタの台詞に、一瞬戸惑うような顔をする。しかしすぐに、小さな声を上げて短く笑った。軽く彼の肩が揺れ、それに合わせてカップの中にまだ半分程度残っている水分の赤い水面が揺らぐ。彼はそこに視線を落とし、再びカップに口をつけた。
 ソウタとしては波留の反応に軽く眉を寄せる。真面目に受け取ってくれないのだろうかと、彼は感じていた。もしかしたら食事と言うものに重きを置かない人物なのだろうか――ソウタはそう考える。だとすれば、少し持論を語っておきたかった。
「確かにプロの業者による宅配の方が、自炊するよりも却ってバランスを考えた食事になるかもしれません。しかし、たまには手料理を食べた方がいいですよ」
 高齢者のためのサービスは、ある程度成熟した人間社会では必ず発展しているものである。そしてそれは、この世界的に見ても豊かな人工島において様々存在している。その中でもメジャーなサービスのひとつが、単身者に対する宅配食だった。
 料理をする機会がなかったり、手間を省きたい人間に対して、1日3食を決められた時間帯に宅配する。利便性溢れるこのサービスには、様々な業者がしのぎを削っている。それは高齢者相手だけではなく、一般家庭においても提供されるサービスでもあった。
 宅配される料理の質や種類も、金銭的余裕さえ許せば相当なレベルを求める事が出来るような状況になっている。そもそも食に拘りがない人間にとっては、丁度いいサービスとも言えた。そのためにこのサービスは、多忙な家庭を中心にある一定の理解を得ている。
 しかしソウタにとって、そのサービスの濫用は、邪道だった。補助的に使用する分には、家庭の事情があって仕方ないとは思う。しかしそれに頼り切ってしまうのはどうかと思うのだ。
 ソウタは更にキッチンを思い返す。鍋の類は割と使いこなしているようで、底に軽い焦げがついて使用感が出て来ていた。この事務所に入って1,2ヶ月なのだから、あの程度の状況で綺麗に使っていると言う事だろうと彼は思う。
 が、どうも、鍋の内側には使用感がそこまでない。彼が考えるに、お湯を沸かしたりしているだけなのではないだろうか。例えば、煮込み料理などを作っている雰囲気がまるでなかった。彼の自宅のキッチンにある鍋とは大違いなのだ。
 更にはフライパンの類が全く見当たらなかった。これでは作れる料理も限られてくるだろうと彼は思う。いくら80歳を越えている老人相手とは言え、フライパンを使う料理を作らないとは一般常識的には思えない。
 ――ホロンに料理の知識がインストールされていない訳ではないだろう。彼は介助用アンドロイドに思いを馳せた。
 そもそも旨い茶を淹れる事が出来る彼女なのだ。それなのに料理の知識をインストールしていないとすれば、かなり妙なセットアップをしていると思わざるを得ない。
 だから、ホロンに頼めば何らかの料理は作ってくれるはずなのである。アンドロイドの手によるものであっても、このキッチンで作る以上「手料理」には違いない。波留はその命令を出した事はないのだろうか。

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