――彼の事を簡単に評するならば、天才なのだ。
 何の衒いもなく、久島はその言葉を用いる。波留が常々用いる「勘」ではないが、自然に心中に浮かんできたのだから、仕方ないと思う。
 波留は高校時代から成績優秀で、国に青田買いされた格好になっていた。その後の経歴がそれを雄弁に物語っている。
 単なる成績優秀者ではなく、海への情熱のままに彼の好きにやらせてやった国は、結果的に間違っていなかったのだと久島は思う。海洋学など役に立つのか判らない学問だったはずが、今や人工島建設プロジェクトを前にして必須の地位を得たのだから。
 このように、天才が熱中してきた事と国の利害が一致するうちはいいのだろう。
 しかし、彼を暴走させないためには、手綱を付ける必要もあるのかもしれない。久島はそんな事を思う。
 ――この期に及んでダイバーチームに移籍したいと言い出されては、上の人間も困るだろうに。今まではいざ知らず、そんな申し出が通ると思ったら大間違いだ。今まで彼が言ってきた無茶と、今回のそれは、次元が違うのだ。
 内心を吐き出すように、久島は大きな溜息をついた。
 全く、「天才」の考える事には、たまについていけない事がある。一般常識も兼ね揃えていて、決して「馬鹿」ではない人間だと言うのに、時折視点の違いを思い知らされてしまう。
 久島はイントラネットからログアウトする。そのままブラウザを閉じ、仕事に戻ろうと思った。
 しかし、マウスの操作が止まる。ふと、思いついた事がある。彼はそのままインターネット上の検索サイトを開く。
 無論、私用のネット使用は社会人として許されざる行為である。しかし、研究職とはレポート執筆などのためにネット上で調べ物をする事も多い。そのため、イントラネットだけではなく外部へのネット回線は確保されている。
 それでもシステム管理課がセキュリティの観点から全回線のログを確保し、怪しい動きは察知可能となっている。場合によっては警告を行う旨が通達されていた。
 とは言え、人間がやる事である。目に余る程の長時間の使用でなければ、多少の事には目を瞑ってくれるものだった。特に今は業務時間外である。明朝のログチェックで発見されても苦笑されるレベルに収めておけば、問題はないだろうと久島は考えた。
 以上のように、久島はある意味堂々と電理研のネット回線を私用利用した。とは言え彼がやったのは、検索用のフォームにフリーダイビングの国際大会の名称を打ち込み、実行した程度の事である。
 国際大会ともなれば、どんなジャンルであってもそれなりに有名である。明確なワードを用いた事もあり、1P目の一番上に公式サイトがヒットした。久島はそれを選択し、クリックする。
 途端に、青を基調とした大会公式サイトのトップページへと行き着く。国際大会のため、英語のページがデフォルトとなっていた。各国言語にも対応しているようだったが、久島はそのまま読み進める。
 それは2年に1回開催される大会であり、昨年秋に開催された大会の結果が冒頭に載せられている。次回大会は来年秋のため、エントリーなどの確定はまだ先の話である。だから数か月前の前回大会の話題に比重が置かれたままとなっていた。
 その前回大会の記事には、優勝者の一際大きく名前が刻まれている。そしてその名前は、久島にとって馴染みがあり過ぎる人物のものだった。
 ページを進んでゆくと、優勝者インタビュー記事に行き着いた。そこには大会セレモニー時の写真が掲載されており、白人選手に囲まれて中央で照れ臭そうな笑顔を浮かべているのは、黒髪の日本人だった。
 数か月前の彼の髪の長さは、今と然程変化していない。フリーダイバー達の中でもその襟足は長かった。
 フリーダイビングの世界に、波留真理の名前は轟いている。彼はその世界でも「天才」の称号を得ていた。
 彼は、他者の追随を許さない潜水能力を持っている。彼がもたらした記録が今後のフリーダイビングの基準点となるだろうとまで評価されていた。
 日本において、フリーダイビングはメジャーなスポーツではない。世界レベルの実力者である波留がスポンサーを得るプロではなく、独立行政法人の研究職との二足の草鞋を続けている点からも、それは判る。そして波留自身が自らの記録を部外者に喧伝する性格ではない事もあり、彼が世界的なスポーツ選手である事を知らない同僚も多かった。
 久島とて、それに気付かされたのは、波留が電理研所属初年度から結構な日数の有給申請をしてきた時である。
 勿論それは職員に与えられた真っ当な権利である。しかし一時期に纏めて連休を確保した彼に何事かと訊いてみたら「ダイビングの世界大会にエントリーしてますんで」とあっさりと答えられた。そこで彼は、ようやく「親友」の趣味を真の意味で理解した格好になる。
 大会公式ページには、前年度優勝者たる波留のコメントが寄せられている。おそらくは優勝時に現地のプレス相手に英語で答えたコメントをそのまま掲載しているのだろう。
 ――潜ってゆくうちに、海とひとつになる感覚が得られる。それを得るために、自分は潜っている。そしてそれが感じられたダイブは、例外なく成功している。今回もそうだった。それが優勝に繋がるのならば、嬉しい事だと思う。
 彼の英語のコメントを日本語に訳したら、このような状態になる。
 この訳で果たして適当なのか、英語に慣れた久島ですら判断が付かない。正直な所、このコメントで波留が何を言わんとしているのか、彼にはまるで判らなかったからである。
 海とひとつになる感覚――それは、一流のスポーツ選手が得る事があると言う感覚の一種なのだろうか。ダイビングに素養がない久島には、そんな感覚は未知のものだった。
 天才の彼は、常人とは全く別の物を見ている可能性もあるのだろうか。
 だから――いくら明晰な彼でも、常人にはそれを伝えきれないのだろうか。それこそ「勘」とでも言い換えなければならないような感覚が、彼の中にあるのだろうか。
 フリーダイビングと言う競技においては、それでもいいのだろう。彼の台詞はそのまま「天才」の弁として解釈される。彼の感覚は常人には理解不能でも、実際に出した記録は素晴らしい。理解不能なコメントも、彼を神格化する材料になり得てしまう。
 しかし、その「勘」と言う感覚を、本業の海洋学研究に持ち込まれても困る。数値化し一般化出来ないデータは、研究においては無意味なのだから。
 画面の向こうに表示されている波留の笑顔はやけに眩しい。久島は、幾度目かともつかない溜息を漏らした。
 そこに、背後から物音がした。久島は思わず、はっと振り向く。
「――…あ、お疲れ」
 大きく動き、固定された久島の視線の向こうには、黒髪の青年が立っていた。勢いよく振り返った久島に気圧されたのか、微笑む表情が固まっている。
 藍色基調のスーツを纏った彼の首許には、ネクタイがきちんと結ばれている。

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