――そうだ、これはアバターだ。だから、それ程意味があるものでもない。波留はそう思おうとした。
 そもそもメタルアバターとは様々な姿に設定する事が出来る。だから若い頃の姿になっていたとしても全くおかしな話ではない。特に彼の場合、一昨日に図書館であんな事があったのだ。あの時見ていた写真の中の自分が記憶にあって、そのままそれが意識として出てきたのだろう――そう考えた。
 波留の場合、メタル内においてアバターを使用していると言う感覚に乏しい。ログインした時点で取った姿に任せている。そして彼は結果的に、老いた現在の姿と若い昔の姿とを使い分けている格好になっている。
 しかし若い姿は専らメタルダイブ専用であり、このような一般領域におけるアバターとして使用した事は殆どなかった。それが今回に限って無意識に表れてきていた。そこに意味を見出す事も出来るだろうが、彼はそうしない事にした。考えた所で、これは無意識下の選択なのだ。せいぜい今の気分が若いからとか、そう言うものに落ち着くしかないだろう。
 ――気分が若いから。波留はその言葉を脳内で反芻した。すると、口の中に米の味が残っているような気がした。身体に気持ちのいい海風を感じている。リアルの身体は抜け殻になっていて、今の彼にはその感触は捉えられないはずだった。
 色々考えているうちに、騒がしかった講堂が一気に静まり返っていた。それに波留は下方を見る。一番下に存在する教壇につく人物が居た。
 波留にもその彼は見覚えがある。今回のプロジェクトにおいては面通しを行った訳ではない。かと言って資料などに添付されている写真で見知った顔と言う訳でもない。波留は以前、彼と直に会った事があり、彼からの依頼をこなした事があった。
 厳つい体格とその顔立ちからは、あまり研究者には見えない。しかしその実はこの人工島を代表する研究者のひとりであり、久島に匹敵する権力の持ち主だった。彼こそがこのプロジェクトを牽引する主人物であり、ジェニー・円と名乗っていた。
 大物の登場に、波留は背筋を正した。大多数の出席者のように彼の存在に圧倒された訳ではない。これだけの出席者を招集した上でプロジェクトのリーダーである彼が出てくると言う事は、相当に大きな発表があるのだろうと考えたからである。
 大講堂とは言えメタル内イメージである。電脳で補助されるために円の発言が聴こえなくなると言う事は無いが、波留は彼の発言を聞き漏らさないように心掛けた。自然に視線が鋭くなる。
 円が話す内容は、昔の波留が体験してきた研究とは違っている。それでも彼は、昔を思い出すような感覚に陥っていた。
 自らの姿のせいかもしれない。それでも彼は、前の壇上に久島が居るような感覚を覚えた。周りには、馴染みの存在だった昔の仲間達が座っているような気がした。あの50年前の光景を思い出していた。写真の中に居た彼らの姿が、ここに見出される。
 波留は懐かしさに目を細めた。が、すぐに顔を振る。幻に囚われている場合ではなかった。
 円の研究報告は厳しい印象を与える声で続いていた。その声は静まり返った講堂に伝わってゆく。

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