そんな時、ふと波留は顔を上げた。そして顎に手を当て、軽く頭を下る。眉を寄せていた。
 ミナモはそんな彼の様子に気付いた。箸の動きが止まり、きょとんとする。
「――波留さん、どうかした?」
 呼びかけてみるが老人は反応しない。俯き加減のまま、若干真剣そうな面持ちをしていた。
 ミナモは1分と待たされていない。そのうちに波留は顔を上げた。顎から手を下ろし、テーブルの上に置く。そして申し訳のなさそうな表情を浮かべていた。
「――…ミナモさん。申し訳ありません」
「え?」
 波留の軽く下げられた頭を見て、ミナモは更に不思議そうな顔になる。短い声を上げた。そんな彼女に波留は告げる。
「30分程度、席を外してもいいですか?」
「席を外す?」
 ミナモは小首を傾げた。「席を外す」とは、一体何処に行くと言うのだろう。彼女がそんな事を思っていると、波留の言葉が続いた。
「今、メールでアバター会議への出席を要請されました」
 波留は現在はプライベートの状況であるため、電通の着信設定はオフにしていた。電理研の外に出ている以上、安易に呼び出しを受けたくは無かったためである。
 そもそも重要な用事ならばメールで送ってくるはずだった。そして実際に今、最上級のフラグを付けられたメールが送信されてきた。そのフラグと差出人名を眺めると、波留としては開かない訳にはいかない。そしてその内容を要約すると、今ミナモに伝えたものだった。
「突然の会議ですので、全員が安定してメタルに繋げる環境には居ないでしょう。ですからそれ程時間は掛けずに終わると思います」
 波留は片手を掲げてミナモに説明する。ミナモは電脳化していないためにアバターを使用出来る訳ではないが、彼が言いたい事は大体判った。今から波留の意識はこの場を離れて、ミナモの前から席を外す事になると理解した。
 それにしても会議とは一体何だろうと彼女は思う。ミナモは今回の依頼は、久島から持ち込まれたと訊いていた。なのに会議云々とは、今までの仕事とは何だか雰囲気が違うように感じられた。
 その感情が彼女の表情にも出てくる。思わず、波留を気遣うような声が出ていた。
「仕事、大変そうだね」
「申し訳ありません…」
 波留はいよいよ立つ瀬が無いような印象で、頭を下げていた。しかしそれでも、出席を断ると言う選択肢は彼の中には含まれていないらしい。ミナモはそれを悟っていた。
「いいよ、行かなきゃいけないんでしょ?」
 ミナモは片手をひらひらさせた。苦笑気味に波留に対し、続ける。
「私、波留さんのバディだし。波留さんの仕事の邪魔は出来ないよ」
 その台詞に、波留は顔を上げた。まじまじとミナモを見つめる。彼の視線の先に居るミナモは笑っていた。少し寂しげな印象を与える笑顔がそこにある。
 それを認めた波留は少しだけ息をついた。そして膝の上に両手を置く。出来る限り、楽な姿勢を取る。自らの電脳に接続コマンドを準備してから、ミナモに対して少し微笑んだ。
「それでは、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
 向かい合っているミナモは波留の方に少し身を乗り出して、笑顔で片手を振った。少女の姿を波留は見やり、そしてゆっくりと瞼を伏せてゆく。そのまま彼の肩が落ち、俯き加減に頭が傾いた。
 波留の動きが止まった時点でミナモは手を振るのを止めた。顔に浮かんでいた笑顔が消えてゆく。少しつまらなそうな表情になるが、顔を横に振った。
 海風は相変わらず岬へと吹いてくる。その風が波留の後頭部で纏められている白髪をなびかせ、肩口まで落とし込んできていた。纏められた髪に首筋を撫でられても、彼は全く反応しない。完全にアバターへ意識を集中させているようだった。
 ミナモはそんな彼の様子に視線をやっていた。まるで居眠りしたかのような老人の姿を見ていると、彼女の表情が緩んでくる。
 太陽はそろそろ天頂へと差し掛かりつつあった。南国の強いがまだ柔らかい印象を持つ太陽の陽射しが彼らに降り注いでいた。

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