ミナモも自分の側にマットを敷き、取り皿の類を準備している。その間、波留はテーブルの中央に並んでいる料理の類に視線をやった。彼はあまりまともな料理を食べる事が出来ない状態だったが、最近では少量であれば体調も崩さず何とか味わえるようになってきていた。 それでも栄養分は薬剤で摂る事が出来る現状において、意識的に食事を摂ろうとはしていなかったが、こう勧められると少しは食べるべきなのだろうと思った。それに、この懐かしい香りには、目覚めた後にはすっかり麻痺していたはずの食欲が僅かに誘われるような気すらする。 その沸き上がる欲求に戸惑いも覚えるが、彼は素直に従う事にした。手を伸ばしておにぎりのひとつを取り上げる。ラップ越しにまだ暖かく柔らかい感触が伝わってきた。きちんと握られているようで、崩れる事も無い。 「――では、頂きますね」 「どうぞ」 波留はそう言ってミナモの方を見て目を細めて笑ってみせると、少女はにこやかに笑い返してきた。彼女のその瞳には興味津々と言った感情が映し出されている。その勢いに波留は軽く押されるが、気を取り直しておにぎりの上部のラップを解く。 そして彼はその辺りに口を近付け、軽く齧った。少しだけ口の中に含むと、表面の米がほぐれる。そのまま数度噛むと米特有の甘い味が感じられた。 「――美味しい?」 ミナモの声が彼の耳に届く。期待に満ち溢れているようでいて、少しばかり心配そうな声だった。波留はとりあえず口の中の物を飲み下す。含んでいた量は少なかったので、ある程度噛み砕いた段階ですぐに飲み込めた。 口許を手の甲で拭う。おにぎりを取り皿の上に置き、ミナモに対して微笑み掛けた。 「美味しいですよ。炊き加減も上手いと思います」 「良かったー!」 ミナモは両手を合わせて喜びの声を上げていた。その瞳はきらきらと輝いている。 そして彼女もおにぎりのひとつを手に取った。手際良くラップを中程まで解き、若干大きく口を開けて齧り付く。そのままはむはむと咀嚼してから飲み込んだ。指に付いた粒を舐める。 波留は彼女の様子を麦茶片手に眺めていた。コップを軽く傾けて液体を口に含むと、やはり米の味とは相性がいい。おにぎりの表面に感じられた塩の味が口の中から消えてゆく。 それからミナモは自分の取り皿にお弁当のおかずを取り上げてゆく。波留にも勧めるが、何か食べる時には自分で取ると言う話になっていた。 彼女も波留があまり食事を摂らない事は理解していて、それについては特に何も言わない。自分の分を突付きながら別の話を向ける。 「――でも、人工島で手に入るお米と日本のお米って違うんでしょ?」 「そのようですね。気候が違うので仕方のない話でしょう。プラントでの栽培にも限界があるでしょうし」 人工島においては人工的に合成された食材の方がメジャーとなっている。野菜などは各種プラントにおいて天然ものも栽培されているが、それは全ての住民には行き渡る生産量ではない。それは稲においても同様だったし、日本本土に馴染んでいる種とはまた別のものとなっていた。波留は人工島の米をあまり食べた事はないが、知識としてそれは把握している。 「波留さん、何が好きだったんだっけ」 玉子焼きを箸で一口サイズに切りながら、ミナモはそんな事を訊く。波留はその台詞に微笑む。軽く下を向くと、取り皿の中にある上部だけを齧ったおにぎりが彼の目に入った。 「コシヒカリの事ですか?」 「…あ、それそれ」 ミナモはその言葉を訊き、波留に指を向けた。以前も何かの拍子に訊いた事がある名称だった。 「昔は一般的なブランドだったんですが、今では日本でも気候の温暖化が進んでいるので高級化しているようですがね」 それもまた波留にとっては知識だった。目覚めた時には50年が経過していた彼にとって、出身国の現状は少しは気になっている。その際にメタルなどで調べた結果の中に、それも含まれていた。 「だとすると、取り寄せるのって難しそうだよね」 「そうですね」 現在の人工島では、相当高価な輸入品となるはずだった。日本出身者が一派を占める人工島なのだから、食料品店に行けば少量で販売しているかもしれないが、余程の好事家でなければ買わないような価格になっている事だろう。 「何時か、それも食べたい?」 「どうでしょうね」 実を言うと、彼はコシヒカリにそこまで拘りがある訳ではない。そもそも食欲と言うものを感じなくなった今では、食事自体がどうでもいい事だった。 そもそも食べ較べしてみて味の違いが判る程、彼は食通と言う訳でもない。既に、この人工島原産であるはずの米で作られたおにぎりに懐かしさを感じていた。――僕は、彼らではないのだから。不意に波留はつい最近の案件の事を思い出している。 爽やかな海風が向こう側から吹いてくる。さざなみの音がそこに紛れる。テーブルの上に並んでいるものは、波留にとっては懐かしいものだった。特に食べたいとは思わないが、眺めているだけでも満足だった。 更には目の前の少女は、それらを本当に楽しそうに味わっている。自分にとっては、そんな視覚情報で充分なのだろうと彼は自覚していた。 |