波留とミナモのふたりが海洋公園の岬に到着したのは、それから1時間も経っていない。それだけ、交通の便が良い場所だった。 水上バスを降りた後に少し徒歩で移動しなければならなかったが、平坦な道のためにそれ程労力は使っていない。南国らしい植物が立ち並ぶ通りを進んだ先に、展望台となっている岬が姿を見せていた。 僅かに傾斜がついている一段高い岬の展望台に、ミナモは波留の車椅子を押していく。半円形になっている展望台からは外洋が前面に見る事が出来るようになっていた。勿論安全のための柵で囲まれてはいる。そして広場上となっている展望台には、テーブルと椅子も備え付けられていた。 「――波留さん、お疲れ様」 ミナモはそう言って、波留をテーブルにつかせる。そして肩に提げていたバッグをテーブルに下ろした。よいしょとばかりに降ろされたそれは、少し重そうな音を立てる。物が詰まっているらしいバッグの底は安定して広がり、倒れる事はなかった。 波留はその様子を見やっていたが、海風が吹き抜けてくる。彼は気持ちのいい風を顔に感じた。後ろに纏められた白髪が風になびく。そしてミナモの髪も同様に揺れていた。 風に遅れて、潮の香りも漂ってきた。海の方へと視線をやると、太陽の照り返しで波間が煌いていた。波留の目が光を処理しきれずにちらつくが、そのうちに慣れてくる。 風の感触も潮の香りも、電理研に閉じ篭っていてはなかなか感じる事は出来ない。海底区画の窓の向こうには海は存在するが、それでは波留には触れる事が出来ない存在だった。 事務所に居る頃には何時でも触れる事が出来る環境だった。そう思うと、事務所と今の状況とではやはり埋められない溝があるらしいと彼は考える。 「――はい」 そんな風に波留が思惟に耽っていると、ミナモが彼に呼びかける。波留がその声に海から視線を外して振り向くと、少女の右手がコップを差し出して来ていた。アウトドアなどで使われるような、使い捨ての透明で薄いコップである。そこに茶色の液体が半ば程まで注がれていた。 波留は少し戸惑うが、そのコップを受け取った。僅かに少女の手と触れ合うが、すぐに離れていった。少し強く握ると容易くたわむような薄いプラスチック状のコップ越しに、冷たい感触が伝わってくる。 彼はそれに口をつけた。一口含むと、癖の無い味が広がる。 「…麦茶ですか?」 「うん」 波留はコップから口を離し、眺めやりつつもその名称を口にした。ミナモはそれを肯定する。彼女の手には銀色の水筒があり、もうひとつ用意したコップに液体を注いでいた。 そしてそのコップをテーブルに置く。内容物がなみなみと入っているせいか、コップ自体は軽そうであっても海風が吹いて来ても倒れる事は無かった。 それからミナモはバッグの口を大きく開け、中身を探っていた。波留はコップを片手にしたまま、彼女の様子を見ていた。一体何を始めるつもりなのかと思う。 バッグの中からは続々と物が出てくるが、まずはミナモはテーブルに布地のマットを広げ始める。テーブルに置かれたマットに、思わず波留も手を伸ばし、手伝ってしまう。 そんな彼の様子を見たミナモは、そのまま別の布の束を取り出した。今広げたマットよりも若干小さめのそれを、彼に手渡す。されるがままに受け取ってしまった波留だが、それをどうすればいいのか判らない。小首を傾げて布の束とミナモの様子とを見比べる。 そうこうしているうちに、ミナモはバッグの中から包みを取り出していた。小さめの青い風呂敷のようなものに包まれているそれを、テーブルの中央に広げられたマットの上に置く。そして彼女はその結び目を解いてゆく。 また軽い海風が吹いてくる。その時、波留は暖かくも懐かしいような香りを嗅ぎ取っていた。その方向、ミナモが広げた風呂敷の中に納まっていたものを彼は視界に入れる。それを認めた彼は、驚いたように軽く瞠目した。 「――…おにぎりですか」 「うん」 ミナモは大きく頷いた。満面の笑顔を浮かべている。 広げられた風呂敷の中には、ラップに包まれたおにぎりが数個並んでいる。それらは何も混ぜられていない白飯で作られているようで、1個ずつラップで包まれている状態だった。 「波留さん、少しは食べられるよね」 「ええ…しかし、どうして」 「一度お弁当作ってきて、ふたりで食べてみたかったの」 言いながらミナモは更にバッグから何かを取り出す。その手には小さめのタッパーがあり、それを開けると玉子焼きや唐揚げや彩りの野菜と言った、如何にもお弁当らしいおかずが並んでいた。 楽しそうな笑顔を保ったまま、ミナモは手際良くバッグの中から取り皿や箸などを出してゆく。その様子を見て波留もようやく合点が行ったのか、渡されていた布の束を解き、自分の前に敷いた。その上からミナモが取り皿などを寄越す。 「御自分で料理されたんですか?」 「うん、少しは練習してたんだ。――だから、ソウタには内緒ね」 「…内緒、ですか」 「ソウタに知られるのって、何かやだもん」 ミナモは軽く口許を歪めてそう言う。そんなものなのだろうかと波留は思った。しかし台所を管理しているとおぼしき彼女の兄にも料理の事実を知られていないとするならば、この妹は結構要領がいいのかもしれない。 |