電理研図書館付近も、あまり人通りはない。前述したように、この場に足を運ぶ必要を見出す職員はまず存在しないからである。 そのために施設自体も、広大な電理研区画の外れに存在していた。殆どが電子化されているために、内包している情報の割にこじんまりとした部屋が久島の前にあった。その入口の扉の前には、黒髪の女性がまるで門番のように控えて立っている。彼女は辿り着いた久島に対して、軽く会釈をして見せた。 「――中に入っていなかったのか」 介助用アンドロイドだと言うのにマスターの傍に居なくていいのだろうか。そんな思考を内包した久島の意外そうな声に、ホロンはデフォルト設定の微笑を浮かべて応える。 「マスターは読書をなさっておいでですので。何かあるなら電通で呼ぶとの事でした」 この図書館はあまり広くはない。入口もこの1ヵ所のみである。何かあったとしても、ホロンのサーチ能力ならばそれをすぐに察知し、乱入して波留の元へ駆けつける事が出来るはずだった。 「そうか」 それを理解し、久島は頷く。そしてホロンの隣に立った。そこにあるコンソールに右手を伸ばしつつ、彼女の顔を見やる。 「ところで、私はこの中に邪魔してもいいのかな」 その問いにホロンは顔を上げる。近くに来ていた久島の顔を見やった。眼鏡で彼の顔を透過する。 「どなたも入室させないように――とは、特に命令されておりません」 「ありがとう」 マスターとシステム管理者のどちらの立場も尊重したかのような、如何にもアンドロイドらしい遠回しな了承の仕方に、久島は少しだけ口許を綻ばせた。 そのまま彼は伸ばした右手でコンソールに触れる。元々電理研職員には無条件で入室許可が出される扉である。その掌から久島の認識コードを読み取ったコンソールの電脳は、すぐに扉を開いていた。 久島はその扉を通り、図書館の中に入った。その背後では静かに扉が再び閉じられる。ホロンは久島に対して深々と頭を下げて、彼を見送っていた。その彼女の姿が閉じられてゆく扉の向こうに消えてゆく。 図書館内の照明は、生活レベルのものだった。四方を囲むのは電理研の他の部署とは違い、窓めいたガラス状の壁面ではない。透過しない、単なる普通の壁だった。それは過去から変わらず、紙媒体の書籍を保護する目的なのだろう。 そのために天井の照明を意識する。淡い光が複数備わっており、暗いはずの室内を照らし出していた。湿度は適度に保たれ、乾いた空気が漂っていた。 そこに久島は僅かに埃っぽい匂いを嗅ぐ。紙媒体特有の本の匂いと言う奴か――彼はそう思い当たっていた。相当昔の記憶に同様のものが存在していた。電脳化以前の遥か昔のもののために、イメージでしかないものだが、それに彼は何処となく懐かしさすら覚える。 壁際には円筒型の司書ロボットが停止している。かなり旧型のそれには一応機動ランプは点灯していた。しかし書籍を取り出す人間が殆ど居ない現状では、全盛期の図書館のように動き回るような事はしていない。伸びるはずの腕を折り畳んでコンパクトな形状になって、壁と本棚の合間に収まっていた。 書架の合間を通り抜けてゆくと、久島は図書館の中央に辿り着く。そこには書見台がいくつか並んでいて、そのうちのひとつに車椅子の老人が収まっていた。備え付けの蛍光灯を点灯させ、静かに書籍に目を通している様子だった。 彼に気付いた久島が歩みを進めていくうちにも、紙のページを捲る音が数度、微かに室内に響く。軽く首を傾げるように、後ろに纏められている白髪が揺れた。 |