本来ならば自動ドアとなっていた事務所の入口のガラス扉も、すっかり破られてしまっていて床に煌く破片を散乱させていた。その向こうでは警察や電理研の車輌がそれぞれ数台ずつ停車している。
 彼らの現場検証の作業はひとまず終わり、事務所から退出していた所だった。現在では事務所の外で事情聴取を行っている。ソウタやフジワラ兄弟が人間である警察官と色々と会話をしていて、その傍らではストレッチャーに横たわるアンドロイドのホロンに少女蒼井ミナモが寄り添っていた。
 本来ならば波留も事情聴取を受けるべき立場なのだが、今は久島と語り合っているために電理研職員は勿論警察官すらも割り込みを遠慮している。波留としては、必要ならば後程聴取を受けるつもりだった。
 事務所の現状は、ガラス窓を中心に一部家具も破損しており、小破状態だった。更に介助用アンドロイドであるホロンが、肩の関節を破壊されたのを始めとして、中破状態に陥っていた。波留は今までもあまり穏やかではない依頼を受けた事があったが、それはあくまでもメタル内の出来事である。リアルの事務所がここまで被害をこうむった事は初めてだった。
 今回の一件では、ある意味命知らずも甚だしい風俗店の店主によって波留は一方的に被害を受けた格好になっている。現在は風俗店側にも警察と電理研が向かい、店主やそこで起動していたアンドロイド群を拘束している事だろう。
 そのため詳細は店主の自白を待たねばならないが、事前調査とこの事件から店主の論理を推測する事は出来る。どうやら風俗店の調査に出向いたソウタを単なるチンピラかつ同業者と勘違いして、そのソウタに釘を刺すつもりで彼が厄介になっている波留の事務所襲撃に至ったと言う展開らしかった。
 本当に波留としてはいいとばっちりである。おそらくこの手の「釘刺し」は件の店主にとっては日常茶飯事だったのだろう。だから今回も、普段と同様に気楽な気分で行ってしまったのだろう。
 少しでも下調べをしてくれたならば、彼が突付いた藪の中にはアナコンダとコブラが同居している事がすぐに理解出来たはずだった。チンピラ青年が実は人工島を支配する電理研所属の調査員であり、更には襲撃した事務所の家主はその電理研の最高権力者の親友だったのだから。つくづく無知とは恐ろしいものである。
「――日も暮れる事だし、そろそろ引き揚げてくれないかなあ。彼らも」
 夕陽が差し込んでくる開けた事務所の中から、波留は警察と電理研の車輌を眺めやりながらそんな事を言う。車椅子の肘掛けに肘をつき、頬杖をつく格好になる。
「何にせよ、君が無事で良かった」
 溜息混じりに久島は言う。この事務所の惨状を思うと「竜巻」襲来時に波留が事務所から席を外していた事は何と言う幸運かと感じていた。
「戦闘用でもない限り、攻撃目標以外の人間には極力攻撃を仕掛けないようにされているのが、アンドロイドとしての設定の根幹だからね。違法流通品であっても、それは絶対的に変えられないものだ。だから不用意に手を出さずに大人しくしていたら巻き込まれないものさ」
「それはそうだがな」
 波留の台詞は久島にとっては釈迦に説法と表現出来る代物だった。久島としては、そんな事を言われなくとも常識レベルとして判っている。
 判っていても、感情が納得出来るかは別問題だった。そもそも攻撃目標に波留が加えられていたらと考えると、さしもの久島も背筋が寒くなる。攻撃目標とされたソウタと、それを阻もうとしたホロンは、あの違法改造されたアンドロイドに如何に痛め付けられたか。格闘技術に優れたこの二者ですらああなったのだから、脚の自由すら利かない波留が巻き込まれてはどうなったか。
 そもそも波留の存在は、この時点では風俗店店主には知られていないはずだった。だから攻撃目標にされる事はあり得ないと結論付ける事も出来た。しかし、襲撃場所である事務所の家主である彼にも、行き掛けの駄賃とばかりに手を出さない保証が何処にあるだろうか?――そんな空想を続けてゆくと、胆力があるはずの久島も穏やかな気分ではいられなかった。
 そんな久島の心配を知ってか知らずか、波留は相変わらず外を眺めていた。重傷さえ負っていないものの、露出している顔や手足に目立った手当を受けているソウタが警察官と向かい合って会話をしている。その脇では電理研職員が事務所の外観を眺めやり、媒体に記録している。
 波留はそんな事務的な作業を見ていた。ふと、ぼやくように言葉が漏れる。
「――そろそろ帰ってくれないと、僕も休めないなあ」
 彼は、今日は流石に色々あって疲れていた。予想外のアクシデントに精神は昂っていても肉体がついてこないのが、老人の身体が抱える現実である。身体の求めを無視して無理をしても何もいい事はないと、彼も老人生活を続けるうちに理解していた。
 そんな波留の横顔に、久島はまた意外そうな顔をしてみせる。怪訝そうな声が波留の頭上から降って来た。
「………何だそれは。君はこの状況だと言うのに、ここで一晩明かす気か」
 久島の言葉に、波留は視線を上げた。頬杖をついた格好のまま、久島を見上げる。
「破壊されたのは入口付近のみで、奥の寝室などは無事だしねえ。ホテル暮らしはこの身体では面倒だよ」
「居住空間は無事であっても、これでは防犯も何もあったものではなかろう」
 波留の言葉が真実ならば、久島の言葉も真実だった。
 「竜巻」が襲来したのは入口付近及び事務スペースのみであり、それ以降の居住スペースには何ら被害はなかったのだ。この事務所は老人の独り暮らしにしては広過ぎる状況のため、居住スペースに引き揚げてしまえば襲撃の影響は全く感じないだろう。
 しかしガラス窓の大半と扉が破られてしまっている状況である。物理的に風通しが良くなっており、いくらメタル経由で事務所周辺にセキュリティが張り巡らせていたとしても、肝心の壁面がなければ殆ど無意味だった。

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