波留は真面目な表情をして、少し考え込んでいた。アルコールで熱くなった息をつく。そして久島を見て言った。
「これ以上濃度が上がるのか?そんなに現状では気温の変動が見込めないのか。確かに気温も水温も、データ上ではまだまだ高いしな」
 波留の台詞を耳にしつつ、久島は憮然とした表情を浮かべて瓶を傾ける。
 波留の台詞は事実の確認であり、評議会の言い分そのままである。だから久島は訊いていて腹が立ってきた。苛々としたまま、彼は瓶の中身を飲み干していた。
 そんな彼の感情を知ってか知らずか、波留は腕を解く。テーブルに肩肘をつき、頬杖をついた。視線を上に向ける。もう片方の手を彷徨わせて自分が飲んでいた瓶を掴み、引き寄せた。
「折角日本から来てるのに、仕事の邪魔されたくないなあ」
「されてたまるか」
 頬杖をついて言う波留の声は暢気そうに聴こえる。それに対して久島は吐き捨てるように言い、空の瓶を一気にテーブルに降ろした。中身が失われた事により、澄んだ音が僅かに響いた。
 波留はその音に興味を惹かれたように、久島の手にある瓶の方をちらりと見る。が、すぐに視線を久島にやった。自分が手にした瓶をとりあえず肘の傍にまで近付け、そこに置く。そして話を振った。
「――で、大丈夫なのか?」
「濃度が何処まで上昇するかによるが、観測データにノイズが入るかもな」
 波留自体が高性能のセンサーとなる以上、ばら撒かれた環境分子すら彼は敏感に拾ってしまうかもしれないし、波留を探知しデータを送信する電子装置に影響が出るかもしれない。
 久島はそれを危惧していた。そしてセンサー自身の波留も、その可能性を理解している。
「そんな状況が予測されるのに、俺が潜って取るデータに意味はあるのか?」
「やって貰う他ない。そのデータが使えるかどうかは、実際に観測してみないと判らん」
 環境分子が一旦散布されてしまえば、彼らの状況が悪化する事はあっても良くなる事はない。だから実験を延期しても意味はなかった。
 元々、日程に余裕はない。予定外の観測である。ならば予定通りに決行する他なかった。彼らには他に選択肢はない。
「消極的だな」
 苦笑交じりの波留の指摘は正しいと久島は感じる。状況は変化しているが、自分達は何も対応出来ずにそのまま実験を決行するしかないのだから。
 だからこそ久島は苛立たしいままだった。神経がささくれ立つ。感情が先に立ち、理性的な考えが進まない。酒のせいだろうかと彼は思う。が、その感情そのままに彼は思った言葉を口にした。
「仕方ないだろ」
 波留は久島にじろりと睨まれていた。――もう酔ったのか。波留は相手の顔を見てそう感じた。
 若干気まずくなり、波留は久島から視線を外す。手を上げて店員を捕まえた。そしてまた広東語で何やら注文する。
「何をした」
「追加の酒頼んだ」
 走り去ってゆく店員の後ろ姿を眺め、久島はそう訊いた。それに波留は簡潔に答える。そして久島の方にある瓶をちらりと見た。親友の顔と、見比べる。
「――飲みたいなら、とりあえずこれ飲むか?」
 波留はそう言って、自分が飲んでいる緑の瓶を久島の方へ押し出した。久島はその瓶を見る。
「これ、お前のだろ」
「今、新しい奴頼んでるからいいよ」
「そうか…」
 久島は押しやられた瓶に手をかける。彼がそれを軽く傾けると、中身は半分程度入ったままだった。
「あまり進んでいないな。君は」
「ビールじゃあまり酔わないからなあ。俺は」
 久島は波留の言葉を訊きつつ、その瓶を口につけた。あっさりと傾けて飲む。若干温くなりつつあったが、泡はまだ消え去ってはいなかった。

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