「――久島」
 少し歩いた頃、久島は自らの名を呼ばれた。それに気付き振り返ると、波留が後ろから歩いて来ていた。彼は一定の距離を保ったまま久島の後を着いて来ている。彼は久島が振り返った事を認め、その背中に声を投げ掛けた。
「これからどうするんだ?」
 久島は肩越しに波留を見る。歩みを止める事はない。そのまま答えた。
「私はホテルに帰るつもりだ。君もそうなんじゃなかったのか」
「良かったら、何処かで飲み直さないか?」
 それは、意外な持ちかけだった。久島は思わず前提条件を問い返した。
「…君は疲れているんじゃなかったのか?」
「明日はオフだから、明日1日休めばいいよ。俺って体力自体はあるんだし」
 波留は暢気な口調でそう答えた。久島と距離を保ったまま声を投げ掛ける。その歩みには疲れの色は全く見られない。
 ここは未だにメインストリートのために人通りは多い。環境上、アジア人の容貌をした人間ばかりが歩いているが、そこで飛び交う言語は多様だった。そこをふたりの日本語が通ってゆく。
「私はあまり店を知らない」
「俺が知ってるって」
 そう言いながら、駆け足で波留が久島に追い付いて来る。その隣に来た男を久島は見やった。歩みを続けつつも若干、呆れた顔になる。
「…そんなに遊んでいるのか。お前」
 久島はこの隣の男が生真面目ではない事を知っていた。しかしこんなに発展途上の場所でもそうだとは思わなかった。
「良い所だからなあ。ついついあちこち見回ってしまう」
 波留は彼の隣に並んで歩く。若干視線を上げ、薄汚れた建物を見上げながら言う。空が暗くなってゆく中、あちこちの窓には灯りが点き始めている。
「そうか?私にとっては暑くてたまらないから、出来る限り屋内に留まりたいものなのだが」
 波留の言い分が久島には良く判らなかった。整備されつつあるがまだまだ発展途上である雑然とした街の何処が良いのだろうと思う。だから、横を見て意外そうな声で問う。
「真夏はしんどいが、今は12月だから流石に少しは涼しくないか?まあ四季なんてこの辺はないけどさ」
 それに対して波留は片手を挙げて答えた。しかしその言い分すらも久島には良く判らなかった。日本本土と較べては、暑いものは暑いだろうに――。
「私には判らないな」
「まあ、そんなもんさ」
 顎に手を当てて首を捻る久島に、波留は笑い掛けた。ジーンズのポケットに手を入れ、若干久島から先行して歩いてゆく。
 追い抜かれた格好になった久島は、波留の背中を見やった。歩く度に波留の後ろ髪が揺れるのが判る。そこに熱を含んだ風が通り過ぎる。埃っぽい空気の流れが彼らの周りに漂った。

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