|
波留は錠剤を飲み込んだ後にも白湯を口に含み、口中を潤す。苦い味が残っていたが、それを洗い流していった。 それが気にならない程度になった所で、彼はコップから口を離した。水面に視線を落とすと、そこにはまだ半分程度の白湯が残っている。しかしそれ以上を飲む気にはならず、ゆっくりと膝の上までコップを持つ手を落とした。たわんで纏められているシーツが上手い具合に受け止める。 そして彼は正面を向いた。溜息をついてみせる。乾いた息がぬるま湯で温められた喉を通ってゆく。軽く瞼を伏せた。 間が持たないなと彼は思う。即効性ならばすぐに意識が消えて楽なのだろうが、日常的に渡される薬剤にはそこまで強力な効果は付加されていないものだった。しかしすぐに効果が出ないからと言って、他の事をして時間を潰していてはいずれ人工的な眠気に負けるだろう。 「――マスター」 そんな波留の耳に、聴き慣れたアンドロイドの声が届く。薄く瞼を上げると、彼は自分の顔に影が掛かっているのを知った。その方向に視線をやると、ホロンが片手を差し伸べている。 その状況に彼は少し不思議に思うが、すぐにホロンが何を求めているのか悟った。軽く会釈するように頭を下げ、彼女に手の中のコップを手渡す。 ホロンは微笑んでそのコップを両手で受け取った。物腰柔らかく彼女は波留に対して頭を下げ、そのままきびすを返す。彼女はそのまま立ち去ろうとした。 そんな彼女の背中に、波留は台詞を投げ掛けていた。 「――…これは、託体ベッドと言うんだったかな」 静かな病室に僅かな靴音を響かせていたホロンだが、彼女が仕えるマスターの声にその音を止める。振り返ると豊かな人工物の黒髪の向こうで、波留が自らの身体を受け止めているベッドを右手の掌で撫でている光景が目に入った。 「はい、そうです」 ホロンは身体を波留の方へと向ける。穏やかに姿勢を正し、彼に向き直りそう答えていた。 「メタルに接続する際に意識を安定させる、現代においてメタルへの長時間の接続のためには必須の設備」 「はい」 淡々と続く波留の説明口調に、ホロンはそれを肯定する。彼女のマスターは特に間違った認識はしていないため、そこに口を挟む余地はなかった。 「だが、このアイランドでは、メタルには有線接続のみが可能となっている。通信分子を無効にする障壁で囲まれているからだ。有線接続の環境を整えたらメタルへの接続は可能だが、少なくともこの部屋からは無理な状況だ」 「…はい」 今回、ホロンの肯定は若干の間を必要とした。間違った認識は相変わらず含まれていないが、ある矛盾がそこに横たわっている事を彼女は悟ったからだった。そして、その矛盾を判った上で、彼女のマスターは今話しているとも。 波留はベッドをリクライニングさせたままの状態で上体を起こしている。視線を右手の方に落とした。そこでは掌が軽くベッドを撫で付けている。 「――…なのに、何故僕は、これを使っているのだろう?」 ホロンは何も言わなかった。波留の問い掛けには答えない。おそらく答えを持ち合わせていないのだろうと、問いを投げ掛けた側は解釈する。 彼はベッドを撫でていた右手を挙げた。肩を竦めるような仕草をホロンに見せる。 「何せ僕はここで50年振りに目覚めたものでね。気付いたらここに居たものだから、自分の意思で持ち込んだものなんてないんだよな」 波留はそう言いつつも苦笑する。そして、右手が宙を泳ぐ。ゆっくりと膝の上に降りた。 その口許から笑みが消える。彼はホロンを見据えて、言った。 「………久島だろ?」 次の質問となったが、ホロンは相変わらず答えない。両手にコップを支え胸の辺りで持ちながら、綺麗な立ち位置を保って波留の視線を受け止めている。 彼女は本当に何も知らないのかもしれないが、久島が彼女のシステム管理者である以上、ある程度の意思の疎通はあるのかもしれない。そうであれば、波留の推測が正しいのか判っているのかもしれない。判っているのに、答えないのかもしれなかった。 どちらにせよ、波留は自らの推測を確信をもって口にしていた。目覚めた時には彼の保証人に納まっていたあの旧友が、わざわざ用意して持たせたのだろう。波留が預けられた先はアイランドだと言うのにそんなものを持ち込ませるとは、そこにある意思を嗅ぎ取るには充分だった。少なくとも、波留はそう思った。 |