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「もう一度申し上げましょう。お引き取り下さい」 彼は老人に見下ろされていた。そんな彼に、他人行儀に冷たい声が注がれる。 窓から注ぐ夕陽が一瞬、老人のサングラスを透過する。そこに隠されていた瞳が不意に明らかになった。彼はそれを目の当たりにした。サングラスに隠されていた瞳から今まで放たれていた視線を知り、彼はとてつもなく寒気を覚えた。 「――ホロン。降りてあげなさい」 「はい、マスター」 老人のマスターの静かな声に、女性型アンドロイドは静かに答える。彼の右腕を解き、立ち上がり彼の上からどいた。忠実に命令に従う。誰もそこに介入する事は出来ない。 彼はゆっくりと身を起こす。捻り上げられた右腕の部分を、左手で擦った。そこには痺れと痛みがあるが、骨や腱を痛めている訳ではなさそうだった。「必要以上に人間に危害を加えない」と言うアンドロイドとしての設定の賜物だろうと彼は認識する。 ――これは、無理だろう。ここまでシステム領域を変更出来るマスター相手に、他人がこの彼女のシステムに介入出来る訳がない。出来るとするならば――。 「――もう、システム管理者の久島当人が、ここに来るしかないのでは?」 目の前の車椅子の老人が、彼の結論を代弁していた。 それは正論だった。このホロンと言う名の介助用アンドロイドは、波留にとっては電理研からの貸与品である。マスターとして設定されているのは波留だが、電理研で彼女のシステム管理を行っているのは久島だった。 マスターとシステム管理者は、アンドロイドのシステム設定上は同等の立場となっている。だからマスターの設定に介入し得るのはシステム管理者のみであり、逆もまた然りである。 メタルを運用している電理研の職員である以上、専門職でなくともプログラムへのある程度の造詣は誰しも持っている。彼もその例に漏れない。だから、老人の台詞と彼の結論は一致している。しかし、彼は首を横に振った。 「部長が、あなた程度の人間のために」 その台詞に負け惜しみが含まれている事を、彼は否定する気はなかった。しかし、常識的に考えても、いくら何でも只の老人のために、電理研の統括部長が、こんなアイランドまで足を運ぶ訳がない――彼はそう思っていた。 「…そうだね」 彼の言葉を受け、波留は何処となく微笑みを浮かべてそう答えていた。 ともかく彼はおざなりに頭を下げた。老人の前から立ち去る。 部長にはこの事実は報告するが、自分の手には余る案件だ。もう降りさせて貰おう――ざわめく廊下を歩きつつ、彼はそう考えていた。 それにしても――あれは本当に人間の瞳だろうか。彼は老人の視線を思い返す。 尊大とか、人間を見下すと言うレベルなら、まだ良かった。そうではなく、あれは――世の中の全てを拒絶する目だ。感情機構をカットした状態になっているアンドロイドの瞳ともまた違う。死人のような瞳と表現するのも、また違う。 とにかく、彼が痛感したのは、もうあの老人とは顔を合わせたくないと言う事だった。 |