「考えを改めて頂けたでしょうか?」
「…何度訊かれても、僕の考えは変わらないよ」
 波留は溜息交じりで彼に答えた。更に俯き加減となり、帽子の影が深く彼の顔に落ちる。
「久島の部下だけあって、しつこいね君も」
「任務ですから」
 まだ若い声が平静に答える。電理研職員である彼には、この老人の態度も予想はしていた。ここ数日、何度も波留の元に足を運び、彼の上司からの申し入れを伝え続けていた。しかしその都度、波留は断り続けている。
 新たな条件を提示出来ている訳でもない今日、唐突に波留が譲歩する訳がない。譲歩するとしたらそれは、老人にありがちな気紛れと言う奴だろう。しかしこの老人はそんなものを期待出来るような人物ではないと、この数回の折衝で彼は身に沁みていた。
「あなたこそ、久島部長の申し入れをここまで拒むとは…」
「今の僕は電理研の人間ではない。だから久島の部下でもない。そんな僕が、彼の命令に従わなければならない謂れはない」
 波留は俯いたまま、淡々と述べ続けた。その声の調子は平坦である。
「しかし、相手は久島部長ですよ?」
 その意外そうな声に、車椅子の肘掛けに置かれた波留の手がぴくりと動いた。――鬱陶しい。波留は率直にそう思ったのだ。久島だから、何だと言うのだ。
 そんな感情が湧き上がると、彼はまた微かに胸にむかつきを覚える。しかしそれは先程とは違い、精神的に押さえつける事が出来るレベルだった。彼の左手が軽く握り締められる。角度が若干変わり、そこに嵌められたダイバーウォッチが夕陽を弾いた。
「僕は君や人工島住民の大多数とは違い、彼を信望してはいない。大体彼は何だ。君らにとって、王か。それとも神か」
 老人の口から平静かつ冷静な調子で語られたそれは、電理研に所属する彼にとって痛烈な批判だった。おそらくは久島当人にとってもそうだろう。少なくとも、この職員はそう考えた。
 ――この老人こそ、何だと言うのか。電理研の統括部長直々の申し入れだと言うのに。そんなものを断る人間がこの人工島の住民の中に存在するとは、命を受けた彼には全く予想外だったのだ。
 しかも、この申し入れには法的には拘束力は全くない。その辺りも部長はこの老人を尊重しているのだ。やろうと思えば部長は様々な手段により、この老人を拘禁する事が出来るはずだった。
 それを拒むのだから――彼は一体何者なのだろうか。この職員としては久島の命を受けただけであり、その老人がどんな人間なのかまでは今まで知ろうとはしていなかった。
 その語り口からして、久島部長の昔馴染みである事は確かだろう。しかし、あまりに反応が冷たい。老人特有の反骨精神の表れだろうか?何せ、片や人工島の支配者のひとりであるのに対し、こちらは只の老人なのだから――彼には、そういう風にしか考えられない。
「だから、お引き取り頂けますか」
 老人の口調は強くはないが、そこに込められた意思はしっかりとしている。全く譲歩する素振りがない。そして、それを謝罪するつもりもないらしい。それもこの職員には苛立たしく感じられる。
 彼の身体の横にそれぞれ揃えられた両腕が拳を作り、強く握り締められた。眉が寄せられているのを彼は自覚していたが、止められなかった。不機嫌さを押し殺しつつも、声の調子は険悪になりつつある。
「――…我々が、いつまでも下手に出ているとお思いですか?」
「…ほう?」
 彼の態度が崩れていく雰囲気を感じ取ったのか、波留は少し笑った。唇の端を僅かに吊り上げ、その声の雰囲気には笑いにも似たものが感じられる。
 そんな尊大とも言える老人の態度を目の当たりにして、彼は頭に血が上るのを感じた。――大企業としての体面を保たなければならない電理研の立場としても、私個人の能力としても、荒事など出来る訳がないと思っているのだろう。違う。これは合法的な手段だ。
 そんな思考の末に彼は決意し、一歩踏み出していた。

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