秋も近い夕方は、亜熱帯気候の島と言えども夏よりは気温が下がる。これは島に作用する気象分子の影響でもあった。
 人工島の技術は、自然すらもある程度のコントロール下に置いている。高級リゾートでもあるこの島は、徐々に温暖に近くなり人間が暮らし易い気候になりつつあった。
 この気候において、波留は病院服の上から更に上着を羽織る事となる。夕方とは言え未だに注ぐ陽射しを避けるための帽子を被り、目を保護するための薄く色がついた小さく丸いサングラスを掛けていた。そして細く痩せこけた白い手首には、年代物のダイバーウォッチを嵌めている。これが、最近彼が海沿いのテラスに行く際の標準装備である。
 彼は後ろにホロンを従えて、病棟の廊下を車椅子で進んでゆく。ホロンは彼の車椅子をゆっくりとしたスピードで押していた。電脳制御である車椅子は使用者である波留によっても操作出来るのだが、やはり介助人が付き添う環境ではそちらに任せた方が機能面でも良い。
 この隔離病棟に居る老人達は人工島の生活レベルと照らし合わせてもかなり裕福な部類に入る人々なのだが、それでも波留のように有機体製のアンドロイドを介助につけられる財力を持つ者は居ない。それ程までに有機体製アンドロイドとは高価な財産であり、そもそも企業が保有するレベルのものである。
 彼女がアンドロイドか人間かなどは、その外見からは区別がつかない。しかし、そうでなくとも、この病棟においては介助ワーカーの人数はベッド数に比率して充分であるはずだった。だから人間であろうとアンドロイドであろうと、患者が別に自分で介助人を用意する事は必要ない。だから、病棟の介助ワーカーの制服を着ていないホロンに、視線をやる人間もたまに居た。
 しかし彼女の存在を既に把握している患者や職員も多く、僅かなさざなみを残してふたりは廊下を通り過ぎてゆく。
「――波留真理さん」
 そんな彼らの前に唐突に立つ者が居た。波留は自らのフルネームを呼ばれた事で顔を上げ、前を見る。
 波留達の進行方向の廊下に、彼らの進路に立ち塞がるような形で立っている人間がいた。そうされると、ホロンも流石に車椅子を押す手を止める。
 ホロンは車椅子の持ち手を持ったまま、僅かに首を傾げてその人物を見ていた。しかし、すぐに排除モードには入らない。全ての人間に対してそんな事をしていては、彼女自身も彼女が仕えるマスターも日常生活は送れないからである。そして今回の場合は、ホロンの記憶に彼の存在は残っていた事も理由だった。
「…君は…――」
 ホロン同様に波留も記憶を巡らせる。顎に手を当てて考え込むような仕草を見せた。その目許はサングラスに覆われた上に帽子の鍔の陰に隠れ、他人からは全く見えない。
 彼は昔から記憶力に優れている。老いた現在であっても、それは変わっていない。そんな彼が人間の顔や情報を覚えられない訳はなかった。なのに今回、思い出すのに時間が掛かるのは、以前出会った際に記憶する必要性をあまり感じていなかったからである。
「――…ああ。久島の部下だったか」
 しばしの沈黙の後、皺が刻まれた口許から発せられた乾いた声が、そう結論を導き出していた。結局、個人名ではなく所属で記憶している辺りに、波留の解釈が透けて見える。
「…ええ、そうですとも」
 老人達の前に立っている人物から、ぶっきらぼうな声が返る。すぐに存在を言い当てて貰えなかった上に、結局名前で呼ばれなかったと来ては、面白かろうはずはない。しかも、その表現された所属も、彼が纏っている制服で表されるようなものではなく、上司の名前だった。そこに彼は老人の歪んだ考えを読み取った。
 ともかく、彼は電理研の制服に身を包み、直立していた。電理研の職員として、そして老人が思い出した通りの立場の人間として、使命を果たそうと考えた。

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