「――今日はどうされますか?」
「今日と言っても、もう夕方も近いね」
 介助用アンドロイドの定型句に、波留は苦笑した。
 彼女は自立思考型アンドロイドではあるが、機械体として融通が利かない部分も残されている。しかしアンドロイドの設定上、目覚めたマスターの指示は伺うべきであるから仕方のない事である。彼もホロンとのまだ長くはないが短くもない付き合いを経て、その辺りを理解していた。
「今日は、データを取っていないんだろう?」
「はい。任務上、マスターのお傍に居なければなりませんでしたので」
 この問答は、事実の確認である。ホロンは波留の介助を絶対的な使命として帯びており、それを蔑ろにしてまで他の作業は出来ない設定になっている。
 この使命は彼女の設定の根幹を成しており、これを崩す事は彼女の「介助用アンドロイド」としての自我を破壊する事に他ならない。それを強行するならば、彼女のAIの全てが初期化される。そうなれば、基本機能のインストールからやり直す事となる。
 彼女を介助用アンドロイドとしての任から完全に解き、別の人間に譲渡するつもりならば、それはむしろ通常の手順である。しかし、波留としてはそんなつもりはさらさらなかった。
「これからデータ採取を行いますか?」
 若干の微笑を浮かべてホロンはそう提議してくる。律儀な台詞だと波留は思った。
 確かに設定上はマスターの介助が最優先だが、そのマスターにとってはこのデータ採取こそがそれ以上の優先となり得る事を、彼女は理解しているらしい。客観的にもそう認識される行動であるし、波留の主観にもそう感じられていた。
「…いや…もう、夕方だしね…」
 しかし波留は、苦笑したまま顎に手を当てた。律儀かつこちらの考えを理解してくれているのは嬉しいが、時間的に厳しいものがある。
 彼女のみがデータ採取を行うならともかく、彼女の介助用アンドロイドとしての設定に相反しないためには、波留も彼女の元に居なければならない。日が暮れてゆく海辺に長時間滞在する事は、老いた彼の身体には少々厳しいものがあった。
 波留は顎に手を当てて視線を中空に巡らせる。少し考えていた。今更起きても何もする事はない。データ採取をしない以上、彼は無為に過ごすだけだった。それはつまらないと彼は思う。
 そして彼は顎から手を外す。少し微笑んでホロンを見上げた。人の良さそうな笑みを浮かべ、彼女に言う。
「――…そうだね。少し海を見るだけでも、やりたいな。連れて行ってくれないか」
「判りました」
 マスターの要求に対し、笑顔でホロンは頷いていた。

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