身体が鉛のように重い。そこに、意識が浮上してくる。現実世界に帰還してゆく。 波留はこの感覚が嫌いだった。睡眠導入剤を使用して眠りを得ると、清々しい寝起きは全く得られない。これで本当に疲れは取れているのかと、彼は疑問を抱いてしまう。 しかし、これを使って眠るように医師からも勧められているのだから、少なくとも肉体的には助けになっているのだろう。寝起きの気分が悪い事を差し引いても、身体は楽になっているのだろう――彼としてはそう納得する他ない。 指先の感覚がない。彼はそこを動かす事を意識してみると、強張った指が僅かに動いた気がした。その上から覆い被さり圧迫する布の感触も、指先に徐々に感じ取る事が出来てきた。感覚が指先から手首、そして腕へと広がってゆく。 「――マスター」 身体に感覚を取り戻していく最中、すぐに波留の耳にホロンの声が届いていた。彼女は相変わらず素早く波留の元へとやってくる。 このアイランドには電脳アレルギー患者対策のために、通信分子の機能をカットする不可視の障壁が張り巡らされている。そのため、メタルの肝のひとつである利便性は大幅に損なわれていた。 だから、介助対象の、電通による常時監視は不可能なのである。なのに波留が目覚めた時には、すぐに彼女は現れるのが常だった。これこそが介助用アンドロイドの能力なのかと、波留は毎日痛感している。 「良くお休みになってらっしゃいましたね」 「今は…?」 言い掛けて波留は、復旧していた視界で窓の向こうを見た。そこに表れている光景を認識する。 亜熱帯に属する島らしく、ヤシの木が立ち並んでいる。人間が居住する区画のためにそれらも綺麗に手入れされており、地平や海が見渡せるようになっていた。空に浮かぶ太陽は天頂を経て、水平線へと向かいつつある。壁掛け時計の時刻もそれを表していた。 ホロンがベッドを起こし、波留の上体が持ち上がる。身体が動いたせいか、浮遊感と共に彼の胸に吐き気が込み上げてきた。 しかし吐くようなものは胃には入っていない。50年の眠りで衰弱した身体では口に出来るような食事も殆ど存在しないために、胃液すら分泌されているのかも怪しい。それでも彼は胸元を押さえた。病院服に皺が寄るまでに握り締め、むかつきを堪える。 「マスター」 ホロンが彼に寄り添うように立つ。彼女の手が伸び、胸元の彼の手の上に被さった。冷たく強張った彼の手に、暖かく柔らかい手の感触がする。彼としては、どちらが人工物なのかと、思ってしまう。 「…これだから、あの薬は嫌いなんだ」 波留は独り言のように言う。吐き気がすると言うのに、口の中は乾き切っている。額を伝う感触は、脂汗だろうかと彼は思った。 確かにこの薬を使えば、身体を休める事は出来ているのだろう。しかし、精神的には最悪な目覚めとなる。こんな寝起きではまともに眠った気にはならない。彼にとっては、薬を使わずに悪夢に苛まれるのも、薬を使ってこんな寝起きを体験するのも、大して変わりはなかった。 ホロンの身体がそっと剥がれた。彼女はサイドテーブルで作業をする。波留はそれを見ず、胸を押さえて深い呼吸を続けていた。顔を歪めて、未だに続く吐き気を堪える。 「――どうぞ」 そんな声と共にホロンはコップを差し出してきた。波留は言われるままに片手を伸ばし、それを受け取る。今回のコップの表面からはぬるくも暖かい熱が感じられた。 そこに軽く口をつけると、それは飲み易いように冷まされた白湯だった。彼は少しだけ口を湿らせる。そうする事で、乾き切った口腔がほぐれる。 更に彼の視界に入ってくるものがある。ホロンが新たに差し出した、薬剤入りのケースだった。そこには錠剤やカプセル剤と言った、何種類かの薬剤が入っている。それは波留が普段から服用している常備薬だった。 波留としてはあまり気は進まない。しかし他にする事もない。のろのろとしているが、慣れた手つきで片手でケースの蓋を開ける。そこにある薬剤をひとつずつ摘み上げ、口に含み、白湯で流し込んでゆく。時折吐き気が込み上げてきて口許を押さえるが、それらが逆流してくる事はなかった。 普段から自分でやっている行為を続けていくと、少しずつ気分が落ち着いてくる。ようやく吐き気が収まり、彼は楽になって来ていた。 |