2030年

 その日、私は、専用のオフィスにやってきたある企業の営業から、耳慣れない言葉を訊かされていた。
「――託体ベッド…ですか?」
「はい、それを我々は開発しています」
 ペーパーモニタに資料が表示され、私の電脳にも他のデータが送信されてくる。私はそれらに目を通してゆく。
 今では電理研の幹部となっている私の元には、様々な企業から売り込みがやってくる。メタルはまだまだ開発途上の技術であり、それだけに私以外の人間もメタルに関連する技術の開発に携わりたがる。人工島がメタルを基盤とした設計になりつつある現状、ここに金脈が埋まっていると誰もが思うのだ。
 活気溢れる業界には玉石混合の技術が流れ込んでくるのが世の常である。それらの選別も、今の私の重要な仕事だった。利用出来るものはどんどん利用していくつもりだったのだ。
 ともかく今、私に持ち込まれたこの技術を私は理解した。どうやらメタルを利用する際の安全装置のようだった。
 通常生活時にごく短時間メタルを利用するだけならば、何かをしながらでも大丈夫だ。しかし長時間の作業を行う際には、その集中を邪魔されないようにしなければ事故に繋がる。身体を安定させる事により安全性を確保し、ひいては使用者へのメタルからのフィードバックの感度も向上させる――理論上はそう言う装置となっている。
「…成程、これは面白い装置ですね」
 長い沈黙の後に私がそう言うと、相手の営業氏は瞳を輝かせた。色々と言葉を並べ立ててくる。が、私はそれを制止する。
「しかし、実物を見てみないと私には判断が下せません。データの提示だけではなく、実際に私の前で実験をして頂かないと」
 こと安全に関わる装置である。自分の目で確かめたいと思うのが人情だろう。特に私の場合、過去に事故を引き起こしているのだから。
「実は、その件に関しては、我が社の社長から提案があるのです」
「提案ですか?」
「はい。――この装置には高い安定性が求められます。それだけに、通常の人間以外でもテストを行いたいのです」
「と、仰いますと?」
「ブレインダウンと言う症例がありますね」
「ええ。昨今提唱され始めた症例ですが」
 私は机の上で手を組んだ。ちなみにそのどちらも、義手である。20年余りの年月の中で何度も新素材を投入し、今では本当に生身と変わらない材質となっていたし、使用感も殆ど義手とは意識出来ないものとなっていた。
 それはともかく。ブレインダウンとは、メタルを利用中に意識喪失状態に陥る症状である。原因は諸説あり、はっきりしない。だからこそ「メタルを安全に利用する方法」を我々は模索している。
「ブレインダウン症状を引き起こした人間を目覚めさせる方法は、メタルダイバーによるサルベージしかありませんね」
「そうですね。極稀に自力で目覚める事もありますが、それを最初から期待してはなりません」
 平静を装いつつも、私は歯噛みしたい気分を抑えていた。――波留は、ブレインダウン症状の最初の認定者となっている。
 彼は現在のメタルを利用していた訳ではないが、私が最初に造り上げた原初のメタルとナノマシンを使用中に事故に巻き込まれた。何より症状がブレインダウンそのものであるために、後にその認定を受けている。
「ですから、ブレインダウン症例の患者でテストを行いたいのです」
 営業氏の申し出に、私は軽く驚いた。表情にもそれは表れた事だろう。
 が、確かに…理には適っている。自らの意思でなくメタルに繋ぎ安定させる。託体ベッドとやらの実験には最適の検体だろう。が、しかし、問題はある。私は顎に手をやった。首を捻ってみせる。
「それに協力してくれる患者とその家族が居ますかね」
 彼らが藁をも掴みたい心境である事は理解出来る。しかしそこにつけ込んでいいものやら――何せこれは人体実験紛いなのだから。理論上には成立していても、現実には何が起こるか保証は出来ないのだ。
 ところが彼は私の問題定義も予測の範囲内だったようだ。少し身を乗り出して来て、言った。
「課長、あなたがいらっしゃいます」
「…私が?」
 私は首を傾ける。彼は一体何を言っているのだろう。
「あなたはブレインダウン症例の患者の保証人をなさっているのでしょう?」
 ――これには息を飲んだ。こんな驚きは何年振りだろうか。
「…何故それをあなたが御存知なのですか?」
 私の口から出たのは、少しばかり険悪な声だった。眉間に皺が寄った事を自覚する。若干視線が鋭くなっているのは抑え切れていないだろう。
 個人情報の保護が一般常識となっている現在において、プライベートな話を知られていると言うのは、あまりいい気分ではない。今でも定期的に病院を訪れているし、そもそも保証人とは書類上に残っている間柄なので調べようと思えば判る事ではあるだろうが、その調べられた行為自体に私は気分を害していた。
 目の前の男は慌てた風に手を振っている。否定したがっているようだ。
「いえ、あなたを調査した訳ではないのです」
「ならば何故」
「我が社の社長が昔から存じ上げていたのです」
「…そちらの社長が?」
 私は瞼を伏せる。彼に送られたデータを電脳で改めて検索した。この会社は株式会社ネオブレインと言う名で、その社長は――。
 ――私は驚きに目を見開いた。
 この会社の社長の名は、小湊沙織と言った。

 
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