私は病室の椅子に座り続けていた。陽射しは明るく、窓から降り注いでくる。 軽い熱を頭に感じるが、もう慣れてしまった感覚だった。額に右手をやっても、包帯に覆われた手では何も感じられない。むしろ傷付いた手から際限なく伝わってくる鈍痛が身体に響く。この痛みも、私の身体には馴染みつつある。 本来なら左手も顔に当てて、頭を抱え込みたい心境だった。しかし今の私にはそれは適わない話だった。視線を横にやると、垂れ下がった左腕の袖が目に入る。私は、左腕を切断する処置を受けていた。 しかし、私はまだいいのだ。 左腕を失った。右手もずたずたになり、5本の指がきちんと動くように回復するとは限らない。それでも、命には別状はない。腕や手が使えなくとも、仕事も人生も何とかやっていけるはずだ。 私は前を見た。病室のベッドには男が横たわっている。解いた黒髪をベッドに広げ、眠っている。肩から胸にかけて厚く巻かれた包帯が痛々しい。 確かに彼は気を失い、海を漂っていた。海中でどうやって負ったのかまるで理解出来ないが、胸を抉られるような形で火傷のような傷を受けていた。それは確かに大きく深い傷で酷いものだったが、内臓に達するものでもない。そして目立った外傷はそれだけだった。 しかし、彼は未だに目を覚まさない。この状態でもう2週間だ。 我々が彼を発見した時には、彼は海面にうつ伏せに浮かんでいた。あの凄まじい海流に飲まれて溺れてしまい酸素欠乏によるダメージが脳にあるのかと思われたが、全くそんな事はなかったのだ。自発呼吸もしている。ダメージがあるとすれば、もっと別の何かだ。 私には医療の専門知識はないので、その辺りはまるで判らない。しかし、彼に就いた医師達も頭を悩ませている事は確かだった。 ――腕と手を失ってでも彼を引き揚げたが、このザマだ。 私のせいなのだ――彼がこんな事になったのは。全て、私のせいだ。 護り切れなかったのに、何が親友だ。この、愚か者の嘘つきめ。 「――久島君…」 不意に私の背後から声がした。病室の入り口の方。私はそちらにぼんやりと視線をやった。 「小湊さん…」 彼女の姿を視界に認めた私は呆然とした声を出していた。彼女が私を見て、ゆっくりと歩いてくる。 「久島君、その腕…」 「…いや、私は大丈夫なんだ…」 確かに私の左腕の状態は、傍から見ても目立つものだった。そこに視線を集中させて心配そうな顔をする小湊さんに、私は笑い掛けた。左腕の喪失感や右手から伝わる鈍痛は未だに存在するが、我慢できないものではない。この2週間ずっとそれらに苛まれた結果、私はもう慣れてしまっていた。 私の笑いに感化されたのか、彼女も少し微笑んだ。しかし、彷徨った視線が病室の奥に行き当たった瞬間に、彼女の表情が硬直する。 ふらつくような足取りで彼女は進む。私は彼女を視線で追った。 ベッドサイドに辿り着いた彼女は、そこに崩れ落ちた。恐る恐ると言った感じで手を伸ばす。横たわる波留の手を取った。 そのまま、突っ伏す。そのうちに肩を震わせ、押し殺すような嗚咽を私は聞いた。 私には何も言えない。言える訳がない。今、何を言っても、言い訳にしかならない。私にはもう彼は救えない。 私は身体を反らせ、天井を見上げた。せめて、視線だけでも逃げるために。今の私の身体では両耳を塞ぐ事は出来ない。だから、彼女の泣きじゃくる声からは逃れる事は出来ない。 私は彼を救えないだけではなく、彼女からも彼を奪ったのだ。ひとりだけではなく、ふたりの人生を傷付けたのだ。 それに較べたら、腕や手を失った程度の私など、何だと言うのだ? |