2012年11月

 ――さて。取り残された我々は、どうすべきなのだろうか。
 私は隣に居る女性に視線をやる。そこには書類の束を手にしている女性が立っている。どうやらデータ類の書類なのだろう――それを見ながら波留と話していたのだろうか。当初は。
「小湊さん。私に答えられる事なら、訊くが」
「ええ…」
 とりあえず私は波留に言われたように、彼女に尋ねた。そんな彼女ははにかんでいた。しかし何だか困っているような印象を受ける。書類の束を胸に抱き抱えるように押し付けていた。
 やはり、私は場違いなのではないだろうか?ふと、そう思った。
 ――場違い?どうして私はそんな事を思うのだろう。
「波留君」
「え?」
 不意に彼女の口から出た名前に、私は怪訝そうな声を上げてしまった。そんな私の声のせいか、彼女は俯き加減になった。しかし、続ける。
「波留君、急いでいたのかしら?」
「…いや、そうではないと思うよ。単に君と話しているうちに待ち合わせの時間が来たんだろう」
「なら、いいんだけど…」
 私は俯いたままの彼女の頭を見下ろしている。
 …まあ、あんな風に置いて行かれたら、今まで自分が足止めしていたのではなかろうかと心配になって当然だろう。あいつは女性には表面上は優しいと思っていたが、意外にデリカシーがない奴らしい。それとも用事がダイブ絡みだったので、気がそこまで回らなかったのだろうか。
 不意に彼女は顔を上げた。見下ろしていた私の視線と彼女のそれが、かち合う。私は少し驚いた。彼女は全く気にしていないようで、少し笑っている。
「あなたは打ち合わせに参加しなくていいの?」
「いや、私はダイブチーム自体には関わっていないんだ」
「あなたの研究のために潜るのに?」
 彼女からは意外そうな声がした。が、もっともな疑問かもしれない。
「それが可能かどうかは潜る当人達が判断する。私は提案し、それに対する彼らの決定に従うだけだよ」
「それはそれで大変ね」
「そう思うかい?」
「ええ。あなたが彼の命を握っているのだもの」
 私は違和感を覚えている。彼女は一体何を言っているのだろう。誰が大変だと言いたいのだろう。
「確かにダイブには危険を伴う事と、それを私がやるのではなく他者に託している事は、否定しないよ。だからこそ安全には気を遣っている」
 これは、軽い弁解紛いの台詞になってしまったかもしれない。私も、少しは波留に対して罪悪感めいた気持ちはないではないのだ。彼が望んでやっている事とは言え――出来なくなった時点でおそらく電理研を辞めるだろうとは言え、自分が出来ない危険な行為をやらせている事実には変わりはないのだから。
 それとも、ダイブを危険だと思っているのは、潜る適性がない私のような人間だけなのだろうか?
 ともかく小湊さんは、私を見ていた。目許には笑みが浮かんでいる。
「信頼しているのね。お互い」
「彼はどうかは判らないが、少なくとも私は彼の事を信頼しているよ」
 だから、きっと波留の方も私を信頼してくれているはずだった。そうでなくては、脳にナノマシンを埋め込むなどと言う人体実験紛いの事までして付き合ってはくれないだろう。
「あなた達は親友同士だものね」
 第三者から評されると照れ臭いものがある。私は苦笑する事しか出来なかった。
「――12月の海は冷たいの?」
 不意に話が変わる。もうすぐ12月で冬にもなるが、我々の実験に四季は関係ない。そもそも南洋なので、日本本土程のしっかりとした四季の変化はなかった。
「あの辺りは南洋だからね。水温計測上のデータしか私には判らないが、寒くはないな」
「人工島の建設、遅れているから観測も大変ね」
「我々はそれに合わせて仕事をするしかないよ」
「そうよね」
 そう言って、彼女は笑った。胸元の書類を抱き締め直す。
「久島君まで足止めしてごめんなさい」
「…いや、私は構わないが」
「じゃあ、観測実験頑張ってね」
 彼女は私に一礼した。笑顔で挨拶をする。どうやら話は終わりらしい。私も軽く頭を下げ、波留が去って行った通路の向こうに歩いていく彼女を、片手を挙げて見送った。
 ……何だったんだろう。私は結局、彼女と雑談しかしなかった事に気が付いた。
 そして、感じ続けていた違和感とは一体何だったのだろう。それには私は、自分の事ながら、気付く事が出来ないでいた。


 
この時に、気付いていれば、良かったのだろうか。



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