「――久島!」 不意に私は名を呼ばれた。その声に私は思考を中断される。 声のした方は、角の向こうだった。波留が私の存在に気付いたらしい。彼は手を挙げて、通路の角に立っていた私に対して笑いかけている。いつもの、爽やかな笑顔だ。 「丁度良かった。小湊さんがお前に質問があるそうだ」 「…私にか?」 私は思わず、そう訊いてしまった。いや確かに今までの会話にあった環境分子やらの話は、私の専門ではあるのだが。しかし――それ以降の話の流れは、そうだったか? 手を挙げたまま、笑顔の波留は私の方へ歩いてくる。そのまま私の隣に立った。 「俺ではお前の受け売りにしかならない。権威のお前が適任だろ?」 と言って、奴は私の腕を取る。そして歩みを通路の向こうへ戻し、私を彼女の前に引き出した。唐突な行動に、私は彼に引き摺られるままだった。少々つんのめるような形で彼女の前に立つ。 そして私を引っ張ってきた当の本人は、逆方向へを歩みを進めようとする。今まで私が立っていた方向へ。 「おい」 私は思わずその背中へ呼びかけた。しかし波留は腕時計――おそらくはダイバーウォッチに目をやっている。そのまますたすたと歩いていこうとしていた。 「悪い、そろそろダイブチームとの打ち合わせの時間だ。すっかり忘れていた」 彼は私の方を見ずにそう告げた。彼が所属するダイブチームは彼を中心としたものとなっており、彼が居なければ何も始まらない。だから打ち合わせへの出席も重要なものではある。が、しかし――。 「おい、波留!」 私は奴の名前を叫んだが、奴は振り返る事もなく只片手を挙げただけだった。そのまま小走りに向こうへ去ってゆく。結ばれた後ろ髪が揺れている。 すると、一瞬、こちらを向いて笑った。多分小湊さんに対してなのだろう。 |