先に到達したのはソウタの方だった。姿勢を低くして義体の胸元に飛び込む。その頭上を拳が掠める。跳ね上がっている癖のある黒髪に触れる音を彼は聴いた。しかしそれを気にする事はない。 飛び込んだ勢いのまま、ソウタは右手で掌底を突き出す。渾身の力を込めて「彼」の胸を狙った。 鈍い音と感触が、ソウタの全身に届く。掌底がまともに入ったらしい。義体の上体が曲げられた。そのままソウタは畳み掛けるように、左手で拳を作り出して放つ。更に顔面を捉え、一気に勝負を決めようとした。 しかし義体は身体を反らせる。よろけた動きを自分のものとして生かし、ソウタの拳を横に交わした。床を鳴らし、義体がステップを刻む音がする。 義体の胸の前を通り過ぎたソウタの左腕を、そのまま両手で掴む。肘と肩とをしっかりと保持し、そのまま前に引き倒そうとしてきた。 自分の勢いを生かされた動きとは言え、強い力がソウタの左腕に掛かる。彼は痛みを覚えた。下手を打てば筋肉や腱を痛めかねないと悟った。或いはそう思わせて、動きを怯ませる作戦なのかもしれない。しかし可能性がある限り、ソウタは無理をするつもりはなかった。これは訓練であり実戦ではないのだから。 ソウタはそのまま素直に引き倒される。床目掛けてうつ伏せに叩き付けられそうになっていた。 しかし彼は導かれた片腕が床に接触した瞬間、手の向きを変えた。そこに右腕を追い着かせ、両手を揃えて床に倒立する格好に持ってゆく。両肘を曲げ勢いを溜め、そして一気に伸ばした。身体が跳ね上がり、揃えた両脚が勢い良く上に跳ぶ。 ソウタとしては、この奇襲攻撃で顎でも蹴り上げる事が出来れば万々歳だった。義体が人体を模している以上、顎も重要な弱点であるからだった。 しかし義体も自分の弱点を把握している以上、そうは上手く行かない。ソウタのその攻撃を済んでの所で読んだのか、彼の左腕から両手を離して際どい部分で回避していた。 それでもソウタは爪先に確かに感触を覚えている。視線を上げて何とか状況を確かめようとすると、どうやら爪先が頬を掠めているらしかった。義体の顔が傾き、後頭部で結ばれていた黒髪が大きくなびいている。 僅かに成功していた攻撃に気を取られている暇は、ソウタにはない。彼はその勢いのまま、急ぎバック転して宙で体勢を変えて両足を床に着ける。そして屈み込んだ体勢から復帰しようとした。 彼の身体が伸び上がる所に拳が来る。しかし彼はそれを何とか腕でガードして受け止めた。まともに喰らうと、ガードした腕にも痺れを伴う痛みが走る。 その時、彼は腰に大きな打撃を感じた。反射的に息が漏れ、声を上げてしまう。 義体の太腿が彼の腰を捉えていた。横蹴りが来ていた。拳を繰り出したまま、体勢を然程変更する事無く繰り出された蹴りだったために、ソウタには見切れなかったのだ。彼もたまらず数歩後ずさった。よろめきながらも間合いを取る。 そこに畳み掛けるような拳のラッシュが来る。しかしソウタは構えを解いてはいなかったため、その全てをどうにかいなす事は出来ていた。 ――蹴りも拳も、普段よりも一発が重い。一発だけなら何とか堪えきれるが、連続で喰らったら多分持たないだろう。ソウタは義体からの攻撃を交わしつつ、そんな事を考えていた。 その一発も、今までに不必要なものを貰っている。どうも間合いが取れていないのが反省点だった。「彼女」の義体ではないからか――しかし、実際に荒事をやる相手は千差万別である。何時の間にかに俺は彼女を想定した格闘訓練ばかりをしてきたのか――? だとすれば、この義体動作確認テストは、俺にとっても渡りに船と言う事になる。有意義に使いこなそう――そう考えつつ、ソウタはバックステップで一旦大きく間合いを取った。 それに呼応するように、義体もそのまま間合いを計る。取られた距離を詰める事はしない。構えたまま、ソウタの様子を伺っていた。 ここまで動いているせいか、ソウタは少々息を荒くしている。それに対して義体は平然としていた。――つくづく義体だとソウタは思う。 生身の人間に、対義体格闘の長期戦は不利だ。早く後ろを取り、首筋に手刀を叩き込むなり後頭部に掌底をぶち込むなりして、義体の脳核に振動を与えて機能停止に追い込むのが、対義体格闘においての人間側のセオリーだった。しかし、この中身はあのホロンである。一筋縄では行かない事は、彼にも判りきっている。 床の上で足を引くと、大きな音が鳴る。そしてソウタはまた義体に対して飛び込んでいった。 |