結局、ソウタはホロンの申し出を了承した。正直な所、彼にはそれを断る理由は何処にもなかった。ここで手合わせする事態を奇妙に思っただけであり、今現在はその奇妙さが解消されたのだから。
 ――それにしても。ソウタは考えていた。
 ホロンは「義体の動作確認テスト」と言っていた。と言う事は、今のホロンは普段の「ホロン」の姿ではないという事になる。戦闘用でもないのに結構な格闘技術を保持した彼女のAIを用いて、別の義体においてもそう言うテストを行いたいと言う意向が働いたのだろうか。
 ホロンの原型は公務用アンドロイドであり、それらは全員一律の容貌をしている。ホロンと「彼女ら」の違いは、AIにインストールされたプログラムとなっていた。
 「マスター」設定がなされた波留のために、ホロンと名付けられた公務用アンドロイドの1体には介助用プログラムと事務用プログラムをインストールされ、彼専用にカスタマイズされている。そして自立思考型AIであるが故に機能面での違いは徐々に「他者」との溝を深くしてゆき、現在では「彼女ら」との並列化は不可能となっているだろう。
 それを「自我」や「個性」と呼ぶのかは、アンドロイド研究者達の意見が分かれる所である。しかしソウタにとってはホロンは一個の人格を持つ「女性」である。だから、公務用アンドロイドとは全く違った容貌を得てもおかしくはないのかもしれない――そんな事を思っていた。
 ――蒼井様。
 ジムのベンチに腰掛けて物思いに耽っていたソウタに対して、不意に電通が来た。それは先程まで会話を交わしてきた、いつも通りのホロンの声だった。しかし脳内に表示されるダイアログには、今回に限って彼女の顔画像は表示されていない。ボイスオンリーのチャットの設定にされていた。
 彼は顔を上げ、ジムを見回した。ホロンが来たのかと思い、彼女らしき姿を探す。しかし他にも何人かの電理研職員が運動器具を使用していたが、彼女らしき姿は見当たらない。義体を乗り換えたのならば女性の姿を探せばいいのかと思うが、それでも視界には男しか見当たらなかった。
 と、その時、自分の前で軽く会釈する人影があるのを、ソウタは目にしていた。それは彼と同じ程度の背の高さの男で――。
「――………ホロン?」
 信じられないような声の調子で、ソウタは知己の女性型アンドロイドの名前を、その目の前の男に対して呼び掛けた。
 ――はい。
 覿面だった。その男はソウタを見据えている。それに呼応するように、ソウタの電脳に返事が返ってきた。それは普段のホロンの声を保っている。
「…義体のテストって…男性型義体の事だったのか?」
 ――はい。
 ソウタの目の前に立っている男性は、口を動かす事はない。ソウタの脳内では相変わらず「ホロンの声」が返答していた。
 しかし脳内に響く女性の声に合わせるように、目の前の男ははにかむように笑い、軽く頷く。だから、この「男」が、やはり今のホロンなのだろう。ソウタとしては、そう考える他なかった。
「…何故、口で会話しないんだ」
 想定外の出来事を目の前にしたからか、ソウタはいつも以上にぶっきらぼうな口調となっていた。それに対して、彼の前に立つ男性型義体は微笑を浮かべている。
 ――電通においては、私のAIに登録済みの通常使用しているこの音声を用いる事が出来ます。しかし音声通話となるとこの義体の声帯を使用する事となりますので、私が通常使用している音声とは変わってしまいます。
「…そうか」
 脳内に伝わるホロンの説明口調を、ソウタは理解した。
 つまりは、これもアンドロイドの気遣いなのだろう。現在の外見がいつもとは全く変わってしまっている以上、音声だけでもいつもの自分を保つ事で、相手にも「自分」だと認識して貰おうとしているのだろう。そう解釈した。
 確かに今、ソウタの脳内に響いているその声は、普段のホロンのものだった。しかし目の前に立っているのは、紛れもない男性である。その男の顔が、ソウタに対して笑い掛けてきている。
 それは人間に対して全く不快感を与えないような柔和な顔立ちに作り出された優しい笑みだったが、ソウタとしては全く見覚えがない顔の男である。その「彼」に、まるで知り合いを目の前にしているかのような笑みを浮かべられると、ソウタは微妙な気分になった。
「――まあいい。君にとっても時間が惜しいだろう。早く手合わせしよう」
 ソウタは思考を転換した。何時までも戸惑っていても話は進まない。そう考え、彼は片手を振り顎をしゃくって身体で背後を指し示した。ジムの奥にあるフリーの運動スペースがそこにある。
 彼のその態度に、ホロンのAIを搭載した「男」は了承の笑みを見せた。歩いてゆくソウタに従い、数歩後をついてゆく。

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