既に調理済みだったソースを温めて、そこに既に茹で上げていたパスタを絡める。その程度の仕上げのため、作業はすぐに終わった。大体は「既に調理済みのソースやパスタから自分の分だけを取り分けて電子レンジで温めて食べる」との手法でなされる食事だったはずなのだから、単純で当然の話だった。
 波留は調理器の電源を切り、中程の大きさの皿を取り出してパスタを盛り付ける。ソースが綺麗に絡まり赤色に染まったパスタが皿の上に収まっていた。
 彼はそれをフォークと共に久島の前に出す。合わせて戸棚から粉チーズやタバスコを取り出し、テーブルの上に置く。それから冷蔵庫にあるミネラルウォーターのペットボトルから中身をコップに注ぎ、差し出した。
「ありがとう」
「どう致しまして」
 程好く温まり湯気を発生させているパスタを軽く眺めてから、久島は波留を見て礼を言う。すると波留も微笑んで会釈めいた対応をした。 「――後で紅茶も飲むか?」
 棚の上にミネラルウォーターのボトルを置きながら、波留は久島の方を見てそう言う。すると久島は軽く頭を上げて反応した。僅かに口許に微笑が浮かぶのを堪えきれない。
「…あるのか?」
「お前が乗船するからには、切らしてないよ。もっとも、いつも通りティーバッグだけどさ」
 いつもは仏頂面である事が多いとされる久島だが、紅茶の話となると楽しそうな表情になる。今回もそうであり、波留はその態度を微笑ましく思う。
 だから彼の方も楽しげな微笑を浮かべて、そう答えていた。棚に寄り掛かりつつ、軽く手を振る。
「君が淹れる紅茶なら、ティーバッグでも充分旨いからな。満足だよ」
「そりゃどうも」
 波留としては、久島自身は自分がどんな顔をして紅茶の話題に喰い付いているのか、気付いているのかどうなのか知りたい気分ではある。しかしそれを指摘しては、すぐにいつもの不機嫌な表情になってしまうのだろうと判っていた。
 本来ならばイタリア料理のパスタならば、食後に合わせるのはエスプレッソのようなコーヒーだろうとは波留も思う。しかしこの目の前の男と来たら、そのコーヒーが嫌いで紅茶が好きなのだから、このある種の珍妙な取り合わせになってしまっても仕方がなかった。実際以前にはコーヒーを勧めてみたのだが、相当厭な表情をされてしまった経験がある。それ以来、彼は無理は言わない事にしていた。
 だから波留は久島に対して軽い礼を言うだけ言って、紅茶の準備に移る事とした。棚からティーポットやカップを出してくる。それらはいつも彼がこのような時に使用してきているものだった。そして消耗品の棚からティーバッグの黄色い包みを取り出し、ティーポットの金網に開封したそれを入れておく。
 更に棚から電動ケトルを持ち出し、先程冷蔵庫から出して利用したミネラルウォーターをこちらにも注ぎ入れる。棚の傍の壁に確保されている電源コンセントにそれを接続すると起動ランプが点灯し、微かな音を発生させた。
 そんな様子を見つつ、久島は自分に出された料理に手をつけ始める。赤いソースが絡んでいるパスタにフォークを差し込み、軽く巻きつけて掬い上げた。一口サイズの量を巻き上げ、口に入れる。
 それは、シンプルなトマトベースのソースのみが絡んだパスタだった。肉類や野菜類を用いた具は一切入れていない。それでもそのソース自体に煮込まれたにんにくや唐辛子や香草が充分に効いていて、噛み進めてゆく久島には味わい深い印象を残す。
 このマリナーラソースのパスタは、波留が観測船の食事当番の際に良く出してくる定番料理だった。時々によってベーコンを炒めてみたり玉葱やブロッコリーなどの野菜類を入れてみたりする事もあるが、今日はソースのみのシンプルなものだった。今日は具材を船に持ち込む余裕がなかったか、持ち込んでも作業する余裕がなかったのかもしれないと久島は思った。
 何せ波留はコックでもなければ事務員でもなく、ダイバーなのである。午前中にその専門職を完璧にこなした後から、そう言った料理に取り掛かっているはずだった。
 だから多少味が怪しい代物が出てきても誰も文句は言えない状況だと言うのに、これだけの料理を出してくる人間なのだ。そのため、誰もが彼をそう言う意味でも重宝している。
 波留が別のチームに引き抜かれないように願っている人間ばかりだろうし、そんな噂を聞きつけている他のチームの一部の人間達からは冗談交じりに手伝ってくれないだろうかと言い出されていた。日本の研究者の中でもエリートと呼べる人材が集っているこの電理研であるはずだが、食とは偉大なものである。
 
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