昼下がりの頃になると、波留の事務所は大抵騒がしくなる。
「あー!猫さんじゃないですかあ!」
 波留のバディ兼女子中学生は、事務所に来るなり彼女独特のサーチ能力によって猫を発見し、すぐに駆け寄って行った。ちなみに猫は居座ったまま相変わらず全く動かない。事務所付属の海沿いのテラスの陽の当たる場所で丸くなって眠っている。ミナモはその猫の元にしゃがみ込む。笑顔で猫を覗き込み、軽くその身体を撫でた。
 波留は彼女と猫の元に車椅子を走らせた。ふたりと1匹に暖かい陽射しが降り注いでいる。
 ミナモは追い着いてきた波留を見上げた。手は猫の背を撫でながら、視線と身体を波留の方に向けた。そして彼女が一番に訊きたい事を質問する。
「何て名前なんですか?」
 波留はミナモが指摘したその事を、今まですっかり忘れていた事に気が付いた。とは言えそれは彼にとって、すぐに思いつく代物でもない。仕方ないので、その事実をそのまま、簡潔に告げる。
「つけていません」
「え?どうしてですか?」
 意外そうなミナモの声が波留に届く。それは、波留にしてみれば、まだ飼うとは決めた訳ではなかったからである。しかしもう居座られた以上、追い出すのも後味が悪いものがあった。だから、今思った事をそのまま少女に言う。
「仔猫の頃につけるならともかく、ここまで大きくなった猫に今更つけると言うのも、何だか無理矢理だと思いまして」
 朗らかな口調の波留に対し、ミナモは手をぽんと叩いた。納得した風に大きく頷き、勢い込んで言った。
「猫さんの人権を尊重するって事ですね!」
「……人…権……?」
 ミナモの勢いに、波留はぽかんとした。思わず彼女の言葉の中で、明らかにおかしいと思われる単語を繰り返す。その指摘に、ミナモは慌てて手を横に振った。
「あ、言葉の綾です!………猫権?」
 考え込んだ挙句に造語を口にしたミナモに、波留は短く笑った。
  
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