久島はゆっくりと波留の右手首から自らの指を解く。そっと離した。 波留は解放されたその手を傾ける。そのまま自分の方へと引き寄せた。目の前に腕を持ってくる。 彼はそこにある細く骨ばった手首を自分の左手で覆った。そこに僅かに残った感触がある。彼の相手は全身義体だったはずだが、その肌には人間の体温を帯びるように設定されているらしい。彼は、むしろ自分の体温の方が低いと感じる。 「――私はもう二度と君を失いたくはない」 声が波留の耳に届いた。波留はそこに沈痛な成分を聞き取る。相手は感情をもう隠そうとはしていないように、彼には思えた。 「…判ってるよ」 波留はそのまま両手を解いた。両腕をそれぞれ、車椅子の肘掛けに置く。いつもの定位置だった。そして振り向かないまま、呟くように言う。 「こんな僕を叱ってくれる人間が何人もいるなんて、人生捨てたものではないよな」 いつもの彼のような穏やかな言葉だった。背後に立つ久島は、波留が思い浮かべる人間を理解したような気がしていた。おそらくは自分と、もうひとり――少女がいるのだろう。 「そう思うならば、もう危ない事はするな」 久島はもう一度繰り返した。すると波留は軽い溜息をつく。頭が下がる。 「今の僕はメタルダイブを生業としている以上、その約束は出来かねるが、善処はするよ」 苦笑を含んだ声に、久島は黙った。今の波留の生業をそうしたのは、久島自身だったためである。 本当に波留を危ない目に遭わせたくなければ、アイランドの施設に押し込めたままにしておくべきだったのだろう。そうすれば波留は表面上は安らかに過ごし、老いていくはずだった。 しかし久島はそこから波留を引っ張り出し、電脳ダイバーに任命してしまった。何故ならば彼に海を与えたかったからだった。彼に安らかな老いなど似合わないと信じたからだった。 おそらくそれは正しかったと久島は今でも信じている。しかし、それは危険な行為に直結している。それはリアルの海とメタルの海と、変わらない事情だった。 自分の行動こそが本末転倒であると、久島は気付いている。危ない事をするなと自分が言えた義理かと感じている。その相反した気持ちこそが苛立たしい。 波留は肘掛けにやった指で、そこをとんとんと軽く叩く。静かな部屋にその音が響く。その音が止んだ時、彼は俯き加減で言っていた。 「だから――また、そんな時には、僕を叱ってくれよ」 「波留」 「お願いだ。僕がそれを聞き届ける事が出来るまでは」 それは穏やかで冷静な声であるようでいて、何かを切望するような声だった。 久島は波留の傾いた首に、纏められた白髪が掛かっているのを黙って見ている。少しいじられた髪留めのゴムの一端が浮き上がっていた。彼はそこに触れようと右手を伸ばした。 |