久島の作業は丁寧だった。ブラシで綺麗に波留の髪を梳き上げ、たまに引っ掛かっても軽く力を入れて解くに任せる。そこまで酷い絡みはなかったために、それで充分だった。
 その髪質は細いが歳の割に量が多い。確かに白髪ではあるが、その全てから完全に色素が抜けている状態だったために、染みらしき印象がひとつもない。それが綺麗に梳き上げられると、室内の光さえも弾いてくる。「綺麗な髪」とのミナモの評価は客観的にも間違っていないようである。
 久島はそのうちにブラシをテーブルに置く。両手を使って波留の髪を梳いてひとつに纏め始めた。
「――なあ、波留」
「何だ、久島」
 何気ない口調で久島が波留を呼び、波留もそれに応えた。久島の手で髪が一方に引かれる事により、その髪が植えられている頭皮も刺激を受ける。それも波留には心地良い。瞼を伏せてリラックスしていた。
「本当にもう、危ない事はするなよ」
 相変わらず淡々とした口調で言いながら、久島の指が波留の白髪を梳く。その台詞に波留は瞼を少しだけ上げる。目を細めた状態で、前を見た。口許に笑みを作り出す。
「久島は本当に心配性だ」
「君には心配させられてばかりだからな」
「でも、いつも大丈夫だろ?」
「その大丈夫がずっと続くとは限らない」
 淡々と会話しつつ久島は波留の白髪を纏め、左手で頭皮に近い根元を掴んだ。そこを固定した状態で、右手で更に根元を掴む。左手を離し、右手首に引っ掛けていた黒いゴムを引いた。
 そこに髪の纏まりを通す。緩まないように根元を押さえたまま、久島はゴムを二重にして髪を結んだ。ぴんと言う澄んだ音が微かに波留の耳に届く。
 波留には自分の髪が後頭部に固定された感触がする。頭の真ん中が軽く引かれる。波留にとってはいつもの定位置であるらしかった。波留は軽く後ろを向いて久島に礼を言おうとする。
 が、久島の手はまだ作業を終えるつもりはなかった。更にゴムを引き、それにより出来たゴムの狭い穴に波留の髪をどうにか通した。ゴムでの結び目が強固になり、強く引かれる感触が波留に伝わる。
 少し痛い。普段結び慣れていない相手なのだから、加減を知らないのだろうか。波留はそう思った。
「おい、久島…ちょっと痛いぞ」
「すまないな。何せ義手なもので、器用な事が出来ない」
 軽く顔をしかめて抗議する波留に、久島は静かに応えた。纏められた髪の先へと久島の手が滑り降りる。
「逆に器用なんじゃないのかこれ」
 髪を強く後ろに引かれる感触に俯き加減になり、ぼやくように波留は言う。右手を挙げ、髪に伸ばす。結び目の辺りに指を当てた。がっちりとゴムが何重にもなっており、きっちりと髪を止めている。その辺りが酷く固い。解くのも苦労しそうだった。
 その頑ななゴムを指でなぞりながら、波留は言う。
「何を怒ってるんだ」
「怒ってなどいない」
「その態度は怒っているだろう」
 言いながら波留は溜息をついた。伸ばした手の中で結んだ白髪を滑らせる。そのまま上から下へと白髪が動き、彼の手の中から離れていった。きちんと梳かれたために手触りはいい。波留は数度そんな風にして髪を撫で上げた。
 加減を知らないのではなく、怒っているからこんな風に結ぶのだろう。彼はそう感じていた。そして今の会話でそれを肯定されたと思った。静かな口調であるようでいて、そこには苛立ちや怒りが覆い隠されている。そう読み取った。
 
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