室内に持ち込まれていた波留の車椅子を、久島がベッドに横付ける。そして波留はベッドの上で座る。そのまま身体をずらして動かない両脚を車椅子の方に持ってゆく。久島が波留の腕を肩で支えながら、波留の腰に手を当てて車椅子の方に滑らせた。 波留も介助される事に慣れて来ていたために、すんなりと身体が移動する。自分でもベッドに手を着いて身体を支えながらの作業だった。体重を車椅子に掛けると、そこにあるクッションが彼を支え受け止める。 そのまま久島がハンガーからベストを持ってくる。波留はそれを受け取り、羽織った。ベストが肩に掛かったままの髪の上に被さったため、波留は後ろ髪を掻き上げて払い上げた。それから数度ベストの布地を胸元で引き、整える。前を合わせ、ボタンを止めた。 波留が身嗜みを整えているうちに、久島は彼の背後に回っていた。波留が軽く後ろに視線をやると、久島の右手にはブラシが握られている。そんなものも用意してあったのかと波留は思った。あらゆる面においての親友の用意周到さに恐れ入る。 久島の左手が波留の頭頂部に触れる。そのまま指で髪を梳いた。髪の毛先をその手に取り、持つ。右手にあるブラシが波留の頭頂部に差し込まれ、下に進む。やんわりと髪を梳く。 頭の地肌に触れるブラシの突起が波留には心地良い。マッサージ効果もあるらしい。波留は目を細めた。リラックスして背中を車椅子に預ける。 久島は作業を続けながら、ふと尋ねた。 「――ホロンにはこう言う事をさせないのか?」 「こう言う身体だから、自分で出来る事は自分でしたいからね。でも、ミナモさんはやりたがるなあ…」 波留は微笑んで言う。快活な少女の顔が彼の瞼の奥に浮かんだ。 彼女も髪が長いが、どうも他の人間の長髪もいじるのが好きらしかった。自分の髪をいじるのと他人の髪をいじるのとでは、視点が違ってくるのもあるかもしれない。 「三つ編みにすると寝ても髪が痛まないからと、そうされそうになった事もあるよ」 思い出したように、波留は口許に手を当てて笑って言った。 今でこそ彼は車椅子を使って良く動くようになったが、電脳ダイバーであるために託体ベッドが仕事道具である。そして仕事やダイブでなくともメタルへの長時間の接続を楽しむ事も多く、必然的に託体ベッドに横になる機会が多い。 そうなると彼は良く髪を結んだまま下敷きにしてしまっている。それを見咎めたミナモがブラシ片手にそんな言動を取ったりもするのだった。 ――波留さんは髪が細いんだから、こんな事続けてたら痛んじゃうよ!?折角綺麗な髪なのに、丁寧に扱わないと駄目じゃない! ――託体ベッドの傍で腰に手を当てて波留を覗き込みそんな事を言い募ってくる、少女の困ったような怒ったような顔が、波留の脳裏に浮かんだ。その記憶を追体験していると彼は楽しくてたまらない。 そんな波留の様子に久島は手を止めた。波留の髪を持つ左手が離れる。彼はその手を広げ、じっと見た。 「三つ編みか。それは私には難易度が高過ぎるな」 その台詞にはふたつの意味が込められている。ひとつは久島は三つ編みの仕方を知らない事だった。普通の男はそんなものを学習していなくて当然である。 そしてもうひとつは、全身義体となった今ではそんなに器用に指先を動かせない事だった。だからこそ先程、ゴムから髪の毛を解く事が出来なかったのだ。 義体技術は加速度的に発達しているとは言え、未だ人間の肉体そのものではない。個人によって程度の差はあれ、義体は手先の器用さにおいて生身の人間には敵わない。訓練すればある程度は矯正出来るが、脳と義体のマッチングや適性の問題もあるために、後天的な努力だけでは補う事も出来ない部分も多かった。 波留はそんな久島の事情を知ってか知らずか、相変わらず笑う。後ろに視線をちらりとやり、言った。 「いや、手先の器用さ以前に、僕の髪の長さでは難しいよ。いっそ、もっと伸ばそうかな。そうしたらミナモさんも楽しめるだろう」 「それは本末転倒じゃないのか」 久島の指摘に波留は楽しそうに声を上げて笑った。 |